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金峰神社
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詳細
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当社は美濃市片知、長良川の支流板取川、更にその支流片知川の川上瓢ケ嶽の麓に鎮座する。高賀山を中心にした高賀信仰の宮として奉斎されたところである。今も高賀六社の一社である。藤原高光公は瓢ケ嶽の賊を平定し、第62代村上天皇の勅旨を以て瓢ケ嶽の麓此処片知の地に鎮斎する。古く社殿に蔵王権現を祀り、後には大和・・・・・・・・・・ |
501-3781 岐阜県美濃市片知猿洞3091番地 |
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美濃市支部 2481 |
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洲原神社
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当社は美濃市須原、長良川の清流に臨んで鎮座している。元正天皇の御代、養老元年(1377)に僧泰澄は元正天皇の勅命を奉じて御造営使伴安麿とその従者2名を賜って、養老5年5月広大荘厳な御社殿の御造営を竣工した。この年泰澄は白山神社を奉斎した。御祭神は、伊邪那岐命、伊邪那美命、大穴牟遅命である。享和元年(・・・・・・・・・・ |
501-3706 岐阜県美濃市須原468番地の1の1 |
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美濃市支部 2462 |
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武並神社
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詳細
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承久二年春再興。創建不詳と雖も旧記に依れば承久二年の春新田四郎左ェ門尉源義清其宗子淡路守義綱の再興する処にして其の際鎌倉幕府三将軍の像を相殿に併祭す。其の後永禄七年三月本殿を再建す。爾後星霜を経て社殿大壊す。明暦元年に至り、神林の一樹を伐て官路橋梁の材となす。之に因りて該時領主黄金半鎰を給ふ。増殖の・・・・・・・・・・ |
509-7201 岐阜県恵那市大井町森1101番地 |
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恵那市支部 1563 |
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六所神社
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当神社の創立年は不詳なるも承久の乱、以前遠き古代にして里伝へに「日本村、大掘に建立しある処寛文10年10月新畑開拓の節、村山(現在の鎮座地)へ引移相成り候」とあり、当鎮座地を日本村と呼称する時代は到底伺ひ知る能はざる大古のことなるべし。・・・・・・・・・・ |
501-3151 岐阜県岐阜市岩滝東1丁目238番地 |
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岐阜市支部 1163 |
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来振神社
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詳細
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第四十五代聖武天皇神亀二年六月創建にして、延喜式神名帳に曰く、美濃國大野郡三座の内、来振神社。美濃國神名帳に曰く、大野郡三十二社の内来振大神とあり、抑も其の縁由を尋ぬれば、聖武天皇の御宇神亀二年六月十八日晨暁雪尺余不思議の瑞兆ありしこと叡聞に達し、勅使下向あり。神託を窺はしむるに則諾册二尊霊山嶺降臨・・・・・・・・・・ |
501-0501 岐阜県揖斐郡大野町稲富字井口山2544番地の1 |
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揖斐郡支部 2889 |
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須原神社
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詳細
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明澄十八年十月創祀。慶長十八年春白山比□羊神を安部組字に祀る。・・・・・・・・・・ |
501-2807 岐阜県関市洞戸阿部根場土1680番地 |
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武儀支部 2607 |
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十五社神社
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詳細
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創立年月不詳。三社並立中座を十五社と称し男神とす。左を八幡と称し、女神となす。右を春日と称し男神とす。三神社の称号詳かならず。里傳に此の社往古祭日九月十五日と云ふ。故里俗に十五日社と云習ひて正社号を失せりとも云ふ。昭和二十七年一月十六日左記神社を合併す。小金田村山内750の2八幡神社、同865の2南・・・・・・・・・・ |
501-3944 岐阜県関市山田400番地 |
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関市支部 909 |
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武並神社
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詳細
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建武2年(1335)8月に創立され、慶安3年(1650)3月現在地に本願主、市川源太郎正永、施主、成瀬祐閑居士、可知半助、度会彦三郎、庄屋、市川茂左衛門正盈、組頭、宮地九兵衛、伊藤太左衛門、可知九郎次郎、山内藤七郎が再建したといわれ、工匠は後藤三郎四郎で以後大きな変化なく現在に至る。祭神は大己貴尊、・・・・・・・・・・ |
509-7122 岐阜県恵那市武並町竹折森前1210番地 |
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恵那市支部 1556 |
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赤河神社
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詳細
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赤河の旧家(大澤家)に伝わる古文書によれば、この地に後醍醐天皇の元弘2年(1332)大名牟遅命(おおなむちのみこと)を勧請し祭神として祀り、社を創建したとある。
以後、330年余りを経た江戸時代の霊元天皇の貫文10年(1670)鳥居の再建と共に「本森社」の社名が記述されている。
以来、境内には弘・・・・・・・・・・ |
509-1112 岐阜県加茂郡白川町赤河1553番地の1 |
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加茂郡支部 510 |
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八雲神社
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創祀未詳。里伝に曰く、享保又、元文の文字より、中御門天皇の御代又、徳川中期より疫病除けの神とし、祀りたる。旧号を天王と云へり。明治八年八雲神社と改称。・・・・・・・・・・ |
501-3936 岐阜県関市倉知字片町895番地の2 |
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関市支部 905 |
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