赤河神社 (あこうじんじゃ)
通称     
主祭神  
      大名牟遅命(おおなむちのみこと)
摂末社祭神     
      少名彦命(すくなひこなのみこと)
      火産霊命(ほむすびのみこと)
      宇迦之魂命(うかのみたまのみこと)
地図 map
住所        
〒509-1112 岐阜県加茂郡白川町赤河1553番地の1
由緒由来  
赤河の旧家(大澤家)に伝わる古文書によれば、この地に後醍醐天皇の元弘2年(1332)大名牟遅命(おおなむちのみこと)を勧請し祭神として祀り、社を創建したとある。
以後、330年余りを経た江戸時代の霊元天皇の貫文10年(1670)鳥居の再建と共に「本森社」の社名が記述されている。
以来、境内には弘法大師像、観音菩薩像や薬師如来を安置した薬師堂などの堂宇も整った神仏混淆の信仰の社となっていた。
明治維新となり、神仏分離の神道国教化政策に従い苗木藩だったこの地では、明治3年(1870)藩庁令(御触留書)による徹底した廃仏毀釈によって、仏教に関するものは総て境内から姿を消した。同年、新社殿の本社に少彦名命(すくなひこなのみこと)を併せ祀り旧来の宇迦之御魂命と火産霊神の二祠をも左右末社に祀り?(久須志神社)と命名し純然たる神社となった。
明治4年(1871)一村一社の太政官布告により、赤河各地の五社を合祀して村社赤河神社となった。
太平洋戦争後の神道指令により、昭和27年に神社本庁包括下の宗教法人赤河神社となり、昭和39年に岐阜県神社庁認可N銀幣社となった。
平成17年11月に老朽化した拝殿を改築し、創建以来最大の床面積を有する新拝殿となり、報告祭が齋行された。幾度かの変遷をへた現在も、無病息災、家運隆昌、交通安全、商売繁盛などの祈願等、地域の産土神社として、篤く尊崇されている。
祭礼情報  
4月第1土曜日