
|
橿森神社
|
詳細
|
御祭神は市隼雄命(伊奈波神社御祭神、五十瓊敷入彦命の皇子)で、創建は第十二代景行天皇の御代である。慶長5年(1600)に兵火、慶安2年(1649)に火災と両度の難に遭ったともいわれる。宝永3年(1706)の古地図によれば、現在の美園町と若宮町の十字路付近が参道の入口で、西一帯は田となっている。二図中・・・・・・・・・・ |
500-8828 岐阜県岐阜市若宮町1丁目8番地 |
 |
|
岐阜市支部 1021 |

|
金神社
|
詳細
|
当神社は古来殖産興業、財宝主宰、金運招福の御神徳あらたかな神として、篤い信仰を集めている美濃国屈指の名社である。御鎮座の年代は遠く上代に在って、成務天皇の御代(西暦135)、物部臣賀夫良命が国造としてこの地に赴任され、国府をこの高台に定められ、篤く金大神を尊崇されたと伝えられている。境内の東北の隅に・・・・・・・・・・ |
500-8842 岐阜県岐阜市金町5丁目3番地 |
 |
|
岐阜市支部 1024 |

|
白山神社
|
詳細
|
創祀不詳なれども、本殿台座に奉位白山三山所大権現祈所慶長自由八年六月吉日野一色村。と存するにより、慶長十八年に野一色村の鎮守神として奉斎し在りしを明らかなり。寛文四年棟札に奉造立白山妙理権現当村安全処惣氏子寄進寛文四年九月吉日。昭和七年四月十一日元野一色字山田洞鎮座の稲荷神社の本社境内に移転合併。昭・・・・・・・・・・ |
500-8226 岐阜県岐阜市野一色8丁目18番2号 |
 |
|
岐阜市支部 947 |

|
若江神社
|
詳細
|
祭神は、応神天皇、気長足姫命、玉依姫命を奉斎。境内社に神明神社(天照大神)、春日神社(武甕槌命)を祀る。平安時代第六十代醍醐天皇の時代に記載された延喜式神明帳に美濃国方県郡若江神社とあるのが、この式内若江神社である。約壱阡百年の歴史がある格式の高い神社で神域は1町7反余りで椎や椋の古木が昔の面影を残・・・・・・・・・・ |
501-1159 岐阜県岐阜市西改田入会地字海淵1番地 |
 |
|
岐阜市支部 1087 |

|
伊豆神社
|
詳細
|
当神社の創立年代は不詳であるが御祭神は大山祇神の娘石長姫命で生命は岩の如くゆるぎないようにと健康長寿をつかさどる神である。全国主要神社でこの神を主祭神とする神社は皆無である。また天手力雄命(手力雄神社の御祭神)が男の荒神であり、この神をおいさめするため往時の長森細畑字石長あたりに鎮座されていたのを水・・・・・・・・・・ |
500-8237 岐阜県岐阜市切通3丁目12番49号 |
 |
|
岐阜市支部 955 |

|
津島神社
|
詳細
|
御祭神素盞鳴命は武運長久、家内安全、五穀豊穣の神として氏子の崇敬厚く永年に亘り讃仰し来れり当神社は創立年紀不詳なれども古は天王社と称し四百数十年前天文の大洪水のとき周辺の部落は方々に流されたるも御神体は押し上げられて岩倉の地にとどまり給い人々ここに社を建てて祀れり、という棟札の元禄13年の記録、奉納・・・・・・・・・・ |
502-0846 岐阜県岐阜市津島町5丁目29番地 |
 |
|
岐阜市支部 1194 |

|
伊波乃西神社
|
詳細
|
勧請年月は不詳である。延喜式神名帳に「美濃国各務郡七社の内、伊波乃西神社」とある。清水山の山ふところ、檜の巨木数百本から成る美しい林に蔽われて鎮座する。祭神日子坐王は、人皇第九代開化天皇の皇子で、伊奈波神社の祭神、丹波道主命の父君にあたらせられる。古事記中巻、水垣宮の段(崇神天皇の御代)によれば「日・・・・・・・・・・ |
501-3156 岐阜県岐阜市岩田西3丁目421番地 |
 |
|
岐阜市支部 1164 |

|
三輪神社
|
詳細
|
創立不詳美濃国神名帳に正二位美和大明神と見へる古社で、鎌倉時代に山県氏当社を井水鎮護の神とし、ついで室町時代鷲見氏・近松氏の諸豪族や暦世の岐阜城主の崇敬篤く江戸時代には美濃代官年々の祭礼に幣帛を献じ警護に任じた。昭和18年郷社より県社に昇格申請中終戦となる。・・・・・・・・・・ |
501-2513 岐阜県岐阜市三輪965番地 |
 |
|
岐阜市支部 1118 |

|
方県津神社
|
詳細
|
日子坐王一族はこの地方に深い関係をもち農耕、治山、治水に貢献された。日子坐王の皇子丹波道主命は、崇神天皇の朝命を奉じて、丹波(山陰地方)に赴かれ四道将軍の御一人で、別名彦多都彦命(伊奈波神社)という。その奥方が当式内社方県津神社御祭神丹波之河上摩須郎女命、その御子日葉酢比売命又その御子五鐘五十瓊敷入・・・・・・・・・・ |
502-0812 岐阜県岐阜市八代3丁目13番1号 |
 |
|
岐阜市支部 1181 |

|
住吉神社
|
詳細
|
当社は、人皇第三十三代推古天皇の御宇長住に神殿を創建、慶長年間に再築された。其後本殿は人皇第一〇七代後陽成天皇の御宇に徳川家康関ケ原合戦に大捷し加納に築城の節その四柱の一神なる本社改築し天満宮を現在の処に遷し松平飛騨守よりその神主たる中島市左ヱ門を年寄役に任じ往時国府のありし「かのう町」ー(明治初年・・・・・・・・・・ |
500-8407 岐阜県岐阜市高砂町4丁目50番地2 |
 |
|
岐阜市支部 1025 |

|