方県津神社 (かたがたつじんじゃ)
通称     
主祭神  
      丹波之河上之摩須之郎女之命(たにはのかわかみのますのいらつめのみこと)
摂末社祭神     
      天照大神(あまてらすおおみかみ)
      豊受比賣命(とようけびめのみこと)
      秋葉大神(あきばのおおかみ)
地図 map
住所        
〒502-0812 岐阜県岐阜市八代3丁目13番1号
由緒由来  
日子坐王一族はこの地方に深い関係をもち農耕、治山、治水に貢献された。日子坐王の皇子丹波道主命は、崇神天皇の朝命を奉じて、丹波(山陰地方)に赴かれ四道将軍の御一人で、別名彦多都彦命(伊奈波神社)という。その奥方が当式内社方県津神社御祭神丹波之河上摩須郎女命、その御子日葉酢比売命又その御子五鐘五十瓊敷入彦命は(伊奈波神社)妃淳熨斗媛命(金神社)、その御子市隼雄命(橿森神社)及び擁烈根命(県神社)である、岐阜市内の総神社の親神様に当る。当社は創立年月日不詳なるも、日本書紀に美濃國方縣郡式内社従二位方縣津大明神は中福光村八代の郷に鎮座すとあり。美濃國神明帳に従三位方縣津明神とありて、祭神は垂仁天皇子、日子坐の子印色之入日子之命の外祖父、丹波比古多々須美和能字斯王姫丹波之河上之摩須之郎女(縣氏三女)を主神とし、之に縣氏の祖神を合せ祀りしものにして、是れ明治神宮誌料により明らかなり。(中略)往古当所は伊勢湾の海水爰に浸入し、大船の往来繁く、肩と肩を接する程の賑わいなりし故肩々津港と称され、後方縣津と転訛し、本社も方縣津神社と称したるもののごとし。昭和32年12月7日縣神社を方県津神社に変更。尚、当神社は五世紀頃の古墳上(円墳直径40m高さ4.5m)にあり、かつて北側と東側に周濠があった。この古墳は通称「枡?」と言っているが、これはご祭神「丹波之河上之摩須之郎女之命」の「摩須」が転訛したもので、「摩須?」が正しいと思われる。
祭礼情報  
4月5日