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八幡神社
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寛文元年九月十五日創祀。明治五年三月二十三日神鏡を京都より奉迎字松源地坂下社へ合祀。明治八年九月十三日元氏子還座の儀を願い出、許可。明治八年九月十三日復祭。
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509-9232 岐阜県中津川市坂下字合郷1494番地 |
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中津川市支部 2297 |
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撞玉神社
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創祀未詳。里説に曰く、往古此の地開墾のはじめ、民家五戸なり。その頃風儀として家毎に産土神を勧請す。中古益々栄えて民家多く連なりし故に、村内集まり議りて処々の小社を字上の平の神明宮の本殿に合祀せると云い伝えたり。後五社の神社と崇敬す。後年々祭祀礼典一組の産土神と尊敬す。当社は元五社神社と称せしが、明治・・・・・・・・・・ |
506-1202 岐阜県飛騨市神岡町中山441番地 |
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吉城郡支部 1255 |
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白山神社
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創建年紀不詳。天文十一年正月再興。古来村社と称す。伝に曰く、美濃國神名帳従三位越三所明神の説あり。・・・・・・・・・・ |
503-2107 岐阜県不破郡垂井町岩手3193番地 |
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不破郡支部 2551 |
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南宮神社
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津戸の地は、古く日本武尊東征のおり、臣吉備武彦が付知川渓谷を下り、木曽川を「亘理(わたり)」で渡り、千里林か茄子川のいづれかの地で日本武尊と会した、と訳されている(恵那郡史・中津川市史)。「亘理(わたり)」は今の津戸であり、木曽川をはさみ南岸西山の津戸と北岸苗木の津戸とは対岸であり、古く南北の地を結・・・・・・・・・・ |
508-0101 岐阜県中津川市苗木字三郷3917番地 |
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中津川市支部 2232 |
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半布神社
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明治四十年十月三十日左六社合併許可。加茂郡富田村羽生内(元羽生村)鎮座村社神明神社へ元白鬚神社、元石不動神社、元星神社、元八幡神社、元春日神社、元白山神社祭神を合祀執行せり。大正五年二月六日出願。社名を半布(はにふ)神社と改称大正五年三月七日許可。改称事由…奈良正倉院御物文書大宝二年美濃國戸籍中加毛・・・・・・・・・・ |
501-3303 岐阜県加茂郡富加町羽生字中村917番地の1 |
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加茂郡支部 351 |
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白山神社
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創祀未詳。明治四十四年十月五日字宮腰鎮座無格社若宮神社(伊弉諾命・菊理姫命)、字外洞鎮座無格社神明神社(豊受大神・天照皇大神)、字仲貝津鎮座無格社白山神社(仁徳天皇)大正四年七月二十日字仲畑上之鎮座無格社冨士神社(木花開耶比賣)、字下大阪ヶ洞鎮座無格社冨士神社(木花開耶比賣神)を合併合祀す。・・・・・・・・・・ |
501-3601 岐阜県関市上之保字寺貝津13580・13581番地 |
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武儀支部 2671 |
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佐久太神社
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創祀不詳なれども、旧号熊野権現。延喜式神名帳に曰く加茂郡九座の内佐久太神社。美濃國神名帳曰く賀茂郡二十九座の内従五位下佐久太明神旧笠松縣美濃國式社考証曰く、佐久太神社、加茂郡夕田郷夕田村にあり。渡邊信喜順拝表に佐久田神、加茂郡夕田村、この村今は夕字訓にて由布田と呼べり右は社号の如く佐久田と呼びしこと・・・・・・・・・・ |
501-3302 岐阜県加茂郡富加町夕田字北洞870番地 |
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加茂郡支部 350 |
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住吉神社
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当社里伝に、万治三年領主金森重頼三男龍興院従純(高山照蓮寺三代)此地の南岡に別邸を構へ松亭と号し、庭園の松に因りて墨江の大神を北岡に勧請せりと云ふ。安永四年八月再建。古来当区の産土神なり。・・・・・・・・・・ |
506-0808 岐阜県高山市松本町1789番地 |
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高山市支部 1701 |
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牛臥神社
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当神社由緒は詳らかではないが、古来伝承を推考せるに宇多天皇御譲位の後延喜年間美濃國に御巡幸の折、養老の滝を初め処々御覧行幸有りし時多芸郡より池田郡を御通過山縣郡を経て武儀郡大矢田村喪山へ行幸の折、本村雛倉村の山道嶮難に因りて、御車の牛自ら駐臥せり。故を以て宇多天皇を祭り、崇敬して村民氏神と拝し奉ると・・・・・・・・・・ |
501-2103 岐阜県山県市椎倉504・505合番地 |
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山県市支部 1739 |
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白山神社
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創祀未詳。元伏見村と称する往古より一村の産土神社なり。然るに中古字高根より移転せりと云ふ里伝あり。明治四十一年五月二十五日元伏見村大字伏見字亥畑鎮座無格社神明神社、同村大字字中北町裏鎮座無格社諏訪神社。この三神社を同年九月二十七日村社白山神社に合祀奉斎す。・・・・・・・・・・ |
505-0125 岐阜県可児郡御嵩町伏見1315番地 |
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可児支部 565 |
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