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縣神社
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詳細
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当社元字中溝に鎮座しありしが、大正四年十二月二十七日字南山無格社神明神社同無格社熊野神社、字中溝家各社木下神社を合併し、同時に現在の地に遷座したる無格社白山神社の地に移転と共に同社を合併し、村社縣神社の名を存す。・・・・・・・・・・ |
501-1101 岐阜県岐阜市佐野728番地の1 |
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岐阜市支部 1057 |
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白山神社
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詳細
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当社は往昔字富貴洞の地に鎮座せしと云ふ故に其の処に白山と称する古宮跡あり。弘安元年三月後藤、菊池、和田、松田等の四氏協力し社殿を再興して、現今字山下に遷座す。土岐美濃守頼兼当社を厚く崇敬し、元応元年八月富貴洞(即ち白山神社古宮跡の地)壱町歩を白山境内跡に占封し、又当社に各地右膳と云ふ禰宜を置く。右膳・・・・・・・・・・ |
501-2565 岐阜県岐阜市福富2011番地の1 |
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岐阜市支部 1133 |
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若宮八幡神社
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詳細
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創祀未詳、寛永2(1625)年の記録あり。
天和2(1682)年9月25日、倉屋神社で始まった式三番叟「翁舞」の奉納に加わって、二社となり、天下泰平・国土安泰・五穀豊穣、悪疫退散を祈願した。現在は倉屋神社・若宮八幡神社・子安神社・水無神社・大山神社の五社で年毎に交代して、秋の大祭として執行されてい・・・・・・・・・・ |
508-0351 岐阜県中津川市付知町字木ノ下7630番地の1 |
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中津川市支部 2250 |
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野宮神社
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詳細
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野宮神社は檀林皇后(西暦786?850)を主神とし、速開津比賣神、瀬織津比賣神、気吹戸主神、速佐須良比賣神の四祭神を合祀し殖産興業の祖神として、また子弟の勉学を司る神として古くから崇敬を集めているお社であります。主神の檀林皇后は贈太政大臣正一位橘清友公の御息女で橘嘉智子姫と申し弘仁6年(西暦815)・・・・・・・・・・ |
502-0908 岐阜県岐阜市近島829番地の1 |
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岐阜市支部 1203 |
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剱緒神社
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詳細
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創祀未詳なれども、式外十社の一、三代実録清和天皇貞観十七年十二月五日授飛騨國正六位上剱緒神従五位下同録陽成天皇元慶元年閏二月二十六日授飛騨國正六位上剱緒神従五位下、同録光孝天皇元慶八年四月二十七日飛騨國従五位下剱緒神従五位上(元慶元年の紛れを正して之に順ずれば同八年の度は正五位下に昇り給へるなり。)・・・・・・・・・・ |
509-4117 岐阜県高山市国府町三川1838番地 |
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吉城郡支部 1301 |
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玉ノ井神社
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詳細
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その始めは未詳と雖も、明応天文の頃、鵜飼庄の地頭斉藤利國の時より小野村惣鎮守の玉の井神社とあり、是天文の頃斉藤利良入道の所選美濃続風土紀に載、方縣郡鵜飼庄七郷の神社を記せり。小野村の本社は玉の井神社末社住吉神社とあり、天文の頃土岐在近太夫頼兼しばらく当社を領する時、七郷の里民に命じて一郷ごとにその村・・・・・・・・・・ |
501-1174 岐阜県岐阜市小野2丁目10番地 |
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岐阜市支部 1091 |
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上地神社
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詳細
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宝暦八年再建後、文化五年十一月拝殿補修。従来南宮神社と奉称し来りしが、明治二年一月二十五日室里神社と改め、其の後明治五年十月改修し、上地神社と奉称し崇敬している。例祭は九月二十九日であるが、いわゆる三九日に祭礼をおこなっている。三九日の重陽の節句・菊の節句という中国の考え方と稲の収穫の季節とかさなり・・・・・・・・・・ |
508-0101 岐阜県中津川市苗木字瀬戸1029番地 |
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中津川市支部 2230 |
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三輪神社
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詳細
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・口承では、文中(1373)年に大和から移住してきた伊藤家・吉田家の先祖が大神神社の分霊を奉持し、元中元(1384)年10月に鎮祭したと伝えられる。
・慶安(1648)年11月、三輪大明神祠として建立されたとの旧記あり。
・天保14(1843)年、護山神社本社創建に際し、尾張藩主徳川斉荘公の命に・・・・・・・・・・ |
508-0351 岐阜県中津川市付知町410番地の2 |
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中津川市支部 2244 |
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倉屋神社
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詳細
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創祀未詳なれども、初め牛頭天王社と称し、庄屋田口家の氏神として鬼門の方角に鎮祭したと伝えられる。
寛永2(1625)年奉納の石灯籠を有し、延宝元(1681)年9月、疫病ならびに飢饉の死者を慰霊すると共に、天下泰平・国土安泰・五穀豊穣・悪疫退散を願って、操り人形による式三番叟「翁舞」の奉納が始まる。・・・・・・・・・・ |
508-0351 岐阜県中津川市付知町1940番地 |
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中津川市支部 2247 |
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四天王神社
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詳細
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506-0812 岐阜県高山市漆垣内町505番地2 |
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高山市支部 1705 |
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