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椿山神社
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寛文七年八月創立。旧は椿の森と唱へ来りしを明治十一年村内各社を茲に合祭し、許可に依り爾後村社椿山神社と称す。・・・・・・・・・・ |
509-7208 岐阜県恵那市笠置町姫栗字中切867番地 |
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恵那市支部 1584 |
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大日女神社
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創祀未詳なるも、弘治二年、安江太郎八氏当社を再建す。然るところ、当時里人未だ稀少なるが為、社堂殆ど大破に及べり。夫れより数十年を経て、天和二年に至りて熊崎與六氏再三建立の思慮を企て、同年十月五日に再建立成就すと云ふ。その工事中地中より神鏡を掘り出し之を神体として奉祀せしものと後傳す。その後安政五年八・・・・・・・・・・ |
509-1222 岐阜県加茂郡白川町下佐見3995番地の1 |
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加茂郡支部 519 |
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神明神社
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この神社は、関村東南端の津保川畔の地にあった堤防鎮護の神明堂を元禄元年(1688)八月にこの地に移し、関郷の鬼門に総鎮守として祀られた。この地は当時吉田村(現出来町)と関村(東木戸村)が村の境界線にあり、鬼が東木戸町に出入りしないようにと厄祓いをし、町名を東木戸町から伊勢町に改町されたと伝えられてい・・・・・・・・・・ |
501-3841 岐阜県関市伊勢町17番地 |
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関市支部 884 |
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諏訪神社
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創立年代は不祥。古伝によると、戦国時代の永正年間桜洞城主三木直頼の家臣荒井四郎右衛門が、信州の諏訪大神を勧請し、大島村郷石原に祠を建て、守護神としたのが創始である。戸田采女正による元禄検地の際、境内除地3反3畝10歩を付せられた。その後荒井家は衰亡し、正徳元年蔵田五右衛門が、現在地に移し祀ったと伝え・・・・・・・・・・ |
509-3106 岐阜県下呂市小坂町大島2116番地 |
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益田支部 339 |
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十五社神社
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当社は淳和天皇の御世、天長3丙午年晴天俄に雲起り寒気極寒の如し、雷名天に響地震降雹頻りにして卿人奇異の相天道に祈り奉る翌朝宮山の山頂唐松に厳として聲あり、吾者是天之常立神、国常立神、国狭槌神、豊斟諄神、泥土煮神、沙土煮神、大戸之道神、大苫辺神、面足神、惶根神、伊邪諾神、伊邪冊神、天照皇大神、天忍穂耳・・・・・・・・・・ |
501-2101 岐阜県山県市大桑2281番地 |
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山県市支部 1734 |
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物見神社
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当神社は神武天皇東征のみぎり賊の大将長髓彦を誅殺した武将饒速日命の第2子 宇麻志麻治命を奉斎し創立不詳なるもこの郷土の守護神として崇敬が篤い。従来旧平島村字宮裏に鎮座の処明治40年10月6日現在地に遷座し奉る。創立由縁不詳。従来大字平島字宮裏1028番鎮座の処明治四十年三月二十三日許可を受け、本神社・・・・・・・・・・ |
501-6003 岐阜県羽島郡岐南町平島4-84 |
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羽島支部 128 |
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苧ケ瀬神社
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創建年月及縁由不詳・・・・・・・・・・ |
509-0104 岐阜県各務原市各務おがせ町8丁目117番地 |
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各務原市支部 815 |
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伊太祁曽神社
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創祀未詳。里伝に乗鞍大神を奉請すと云ふ。寛延十一年本殿改築す。明治四十四年一月、同区字宮ノ前、字谷、字洞、久三伊太祁曽神社を合併す。同年同月同区字コセ鎮座塞神神社、同字コセ鎮座疱瘡神社を合併す。・・・・・・・・・・ |
506-2256 岐阜県高山市丹生川町日面字西ノ谷784番地の2 |
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大野支部 2164 |
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三枝神社
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創建年代不詳と雖も、日本紀、飛騨國沿革、行心塚、里説等に依れば、持統天皇朱鳥元年十月新羅沙門行心の奉斎せしものならん。里説に云ふ。がらんげ俗称(伽藍跡元禄水帳に除け地あり)の行心坊(被合併社)神明宮内宮と(改称前合併社)稲荷宮外宮とを伊勢両宮として奉斎せしものなりと(天保十三年八月宮野に於いて両宮祭・・・・・・・・・・ |
506-0041 岐阜県高山市下切町2326番地 |
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高山市支部 1686 |
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牛臥神社
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当神社由緒は詳らかではないが、古来伝承を推考せるに宇多天皇御譲位の後延喜年間美濃國に御巡幸の折、養老の滝を初め処々御覧行幸有りし時多芸郡より池田郡を御通過山縣郡を経て武儀郡大矢田村喪山へ行幸の折、本村雛倉村の山道嶮難に因りて、御車の牛自ら駐臥せり。故を以て宇多天皇を祭り、崇敬して村民氏神と拝し奉ると・・・・・・・・・・ |
501-2103 岐阜県山県市椎倉504・505合番地 |
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山県市支部 1739 |
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