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鶉田神社
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詳細
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| 宝亀二年創祀。天武天皇の第三皇子一品舎人親王の孫権中納言式部卿秀重、宝亀二年鶉の森を拓き、鶉の郷と名付け、郷内天王森に鎮守の祠を建て(素盞鳴尊を祀れり。弘安四年蒙古来寇の時、御祈願の為勅使参向あり。平定の後、皇室より大床安坐の狛犬を下賜せらるる。永禄年中織田信長、斉藤龍興征討の際戦勝祈願あり。斉藤滅・・・・・・・・・・ |
| 500-8281 岐阜県岐阜市東鶉5丁目63番地1 |
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岐阜市支部 980 |

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大森神社
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詳細
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| 当社は、大森城(城主、奥村又八郎)のあった位置から、約50米下方に鎮座し、城主が鬼門除けの護神として崇拝していたと推察されている。御祭神は、建速須佐之男命・豊受毘売神・大雷神・応神天皇・神功皇后・ヒメカミ・宇迦之御魂神・天照皇大神・火産霊神を奉斎し、古くは牛頭天王社と呼ばれていたようだが、明治元年か・・・・・・・・・・ |
| 509-0238 岐阜県可児市大森字宮前2118番地 |
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可児支部 613 |

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河合神社
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詳細
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| 創祀未詳なれども古老の伝に曰く、当社はいと古は村中産土神と称すること久し。元は八重垣神社と称す。然る処明治五年三月旧苗木藩の令を受け神殿再び造営し、河合神社と改称す。・・・・・・・・・・ |
| 509-7207 岐阜県恵那市笠置町河合字中切1095番地 |
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恵那市支部 1583 |

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八幡神社
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詳細
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| 創立年月由緒不詳なれども記録の示す処に依ると寛文元年と認められる。寛文元年三月二十八日社殿改築。元禄元年、正徳元年六月二十五日、享保十九年十二月二十八日明治二十五年十月二十日、昭和十二年十月十五日二ヶ年継続事業の本殿以下主要建物の改築、境域拡張整備工事完了。昭和二十七年○月○日秋葉神社、津島神社を合・・・・・・・・・・ |
| 507-0814 岐阜県多治見市市之倉町11丁目59番地 |
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多治見支部 1924 |

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深田神社
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詳細
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| 明治四十年十月十九日岐阜県の許可を得て、津島神社、八幡神社、大明神社、天神神社、日枝神社、神明社葛屋社の七社を合祀し、深田神社と改称す。・・・・・・・・・・ |
| 505-0043 岐阜県美濃加茂市深田町1丁目6番地16号 |
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美濃加茂市支部 2442 |

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津島神社
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詳細
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| 創祀未詳なるも、享保年間ならん(社伝)。津島神社は駒場区の産土神なり。寛文以前は松源寺住職社僧として奉仕せしが、其の後修験者の奉仕する所となり、明治六年より恵那神社神職の兼務となれり。維新前奉仕せられし修験者八木氏の系譜に依り、創立は享保年間ならん。系譜は佐の如し。(初代)権大僧都正宝院玄休峯位享保・・・・・・・・・・ |
| 508-0011 岐阜県中津川市駒場字角田746番地 |
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中津川市支部 2222 |

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岸劔神社
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詳細
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| 祭神は素戔嗚尊・伊奘册尊・伊奘諾尊・菊理姫尊などである。気良村(奥明方村)字鳥居宮で、ある年連日の旱魃に神主が再三雨乞いをしたが霊験はなく、ついにこの村の氏神の御神体の宝劔を取り出して2間手村(奥明方村)の境の川岸で劔を洗ったところ、急に雲がわき起こり雨が激しく降りだした。その劔を岩上に置きなお祈祷・・・・・・・・・・ |
| 501-4214 岐阜県郡上市八幡町柳町字一ノ平438番地 |
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郡上市支部 1405 |

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阿夫志奈神社
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詳細
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| 于時人皇五十二代嵯峨天皇御宇、弘仁九年春天下に大疫流行、万民臥悩する者莫なり。然る所勅命により日本の大小の神社に於いて疫病神斎のご祈祷を為し給ひ、右祭神伊邪那岐命伊邪那美命素盞鳴尊の神璽を斎ひ鎮め、疫神を退け、天下安堵の思ひ為す。茲に川辺郷一同随心し、同年九月二十六日神永洞天皇山の頂に社頭建立し、専・・・・・・・・・・ |
| 509-0302 岐阜県加茂郡川辺町上川辺1190番地の1 |
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加茂郡支部 424 |

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四天王神社
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詳細
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| 506-0812 岐阜県高山市漆垣内町505番地2 |
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高山市支部 1705 |

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明白神社
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詳細
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| 当社の創建年代は不詳である。当社の前を通っている古代官道は、飛騨支路の上留(上呂)駅から旧浅水橋を渡り、当社の御旅所の前を通って位山街道(飛騨匠の道)の入口迄至る。按ずるに、当社は、現永養寺が改宗前の天台宗ごろの鎮座神か、あるいは棟札に記載されている、貞享二年に今井氏三家による創建と考えられる。元・・・・・・・・・・ |
| 509-2508 岐阜県下呂市萩原町尾崎字四美辻941番地の1 |
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益田支部 315 |

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