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大森神社
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当社は、大森城(城主、奥村又八郎)のあった位置から、約50米下方に鎮座し、城主が鬼門除けの護神として崇拝していたと推察されている。御祭神は、建速須佐之男命・豊受毘売神・大雷神・応神天皇・神功皇后・ヒメカミ・宇迦之御魂神・天照皇大神・火産霊神を奉斎し、古くは牛頭天王社と呼ばれていたようだが、明治元年か・・・・・・・・・・ |
509-0238 岐阜県可児市大森字宮前2118番地 |
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可児支部 613 |
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若宮八幡神社
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創祀未詳なれども、延享二年三月十五日修葺の棟札あり。濃州志略若宮八幡祠と見えたる社是なり。社地の儀は総坪数三千三百四十九坪なりしを、明治八年上地に相成り、現在の坪数に減せり。祭典の式たるや、九月五日、御輿市中を戸御、当町六組の者神楽屋形を打ち囃子にて供奉す。・・・・・・・・・・ |
505-0116 岐阜県可児郡御嵩町御嵩1072番地 |
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可児支部 554 |
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鍬山神社
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創立未詳。往古より此処に御鍬之大神、天照大神を奉斎の由。何れの頃か年月しれず、字小松山に遷すと云ふ。明治二年元社地字森畔へ復座す。従前本村室原村佐森神社に由緒之有りに付き、明治五年分霊譽田別之神を奉迎して之を合祀し、三座とす。同年一棟三扉之神明造りに再建して苗木藩へ願い済み之上新たに神鏡を神眞として・・・・・・・・・・ |
509-1222 岐阜県加茂郡白川町下佐見2174番地の1 |
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加茂郡支部 518 |
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塞神神社
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天文七年三月十八日創祀。寛永十七年岩村城主丹羽式部少輔の再建まで一説に往古御坂越より三河國に通ずる一林道なりと云ふ。故に巷間に塞神を齋き祀ると称せり。所廟に罹る者祈祷すればその神験著し。故に遠近の座俗平常三例の者許多なり。・・・・・・・・・・ |
509-7321 岐阜県中津川市阿木字塞神3973番地 |
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中津川市支部 2271 |
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白山神社
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215を合祀。・・・・・・・・・・ |
501-3601 岐阜県関市上之保字三月24533番地の1・2 |
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武儀支部 2673 |
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六社神社
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御神實の表面に神号を彫刻し「文明三年卯齋賢敬白」とあり。これに依れば、文明以前の創立に係る神社なること明らかなれど、創立年月縁故不詳。当社のこの鎮座地は古くより元無格社神明神社の鎮座地たりしが、明治四十一年十一月三十日字威徳山より当社社殿を移転合併し社号は六社神社を存す。境内社御鍬神社は、元神明神社・・・・・・・・・・ |
503-1244 岐阜県養老郡養老町竜泉寺182番地 |
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養老上石津支部 3110 |
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八幡神社
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この地は大化改新の頃この平野を開発し各自の崇敬する神霊を勧請し庄の北端である十四条に奉祀したのが本社の起源である。其の後享録3年4月西濃一円の大洪水の為五社共流出、辛うじて御神体のみを御遷座。同年9月現在地を選び再建されたと言い伝えられている。再建された社は相当大規模な物で、山伏屋敷、神主屋敷等を擁・・・・・・・・・・ |
501-0464 岐阜県本巣市十四条字村之内859番地 |
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本巣郡支部 2796 |
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春日神社
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勧請年月不詳。正保三年三月、領主小笠原主膳正より社地寄進。当社は古来より大字直江字中瀬古114番地に鎮座ありしを昭和二十六年八月二十八日此の地に移転遷座。同年十月十日盛大なる奉祝祭を齋行せり。・・・・・・・・・・ |
503-1337 岐阜県養老郡養老町直江518番地 |
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養老上石津支部 3195 |
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五社神社
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旧名正六位上大縣明神。当國神名帳に載せられたる多芸郡十六社の一なり。美濃明細記に「縣明神は多芸郡宇田邑にあり。正六位上大縣大明神境内六段余領主より除地云々」とあり。御祭神は往古の当地の縣主を祀れるなるべし。後世三島神社以下四社を加へて五社神社と称す。何れも勧請年月不詳。宝暦九年十月惣百姓連印を以て旧・・・・・・・・・・ |
503-1335 岐阜県養老郡養老町宇田1026番地の1 |
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養老上石津支部 3191 |
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吉田神社
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古来村社。豊村は古くは吉田村と称したり。慶安三年の洪水により田園砂田と化し、今に砂畑の地名残れり。これが為古文書散逸して創立年紀縁由不詳。延宝五年大垣藩へ差し出したる古絵図に「大明神」と記されたり。又、享和三年御領内明細記、吉田村の條に「吉田大明神境内御除地」とあり。・・・・・・・・・・ |
503-1334 岐阜県養老郡養老町豊127番地の1 |
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養老上石津支部 3188 |
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