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漆原神社
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詳細
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本社は嘉吉年間の鎮座にして里伝に曰く、諏訪頼茂の家臣乱を避け、此の地に居れり。因りて信濃國諏訪郡中州村より本社を迎へ祀るとなり。社殿は安政五年の再建にして信濃國諏訪の住人立川内匠源冨重の指図により、其の高弟佐藤済利の建設にして、彫刻は最も意を注ぎ頗る精巧を極む。明治四十年十二月字東三作無格社熊野神社・・・・・・・・・・ |
509-7511 岐阜県恵那市上矢作町漆原字本郷304番地 |
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恵那市支部 1602 |
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天神神社
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詳細
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弘化二年勧請。その他由縁不詳。・・・・・・・・・・ |
509-7731 岐阜県恵那市明智町1318番地の2 |
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恵那市支部 1659 |
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石亀神社
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詳細
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創祀未詳。由緒記載なし。・・・・・・・・・・ |
509-7504 岐阜県恵那市上矢作町(小笹原)字ヤゲ353番地 |
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恵那市支部 1608 |
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子守神社
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子守神社は延宝5年丁己10月吉祥日祭神天之水分神、国之水分神の二柱を福生院法宜を導師として、本願人西尾小四郎が奉建せしを、正徳二年壬辰九月阿宥梨福生良宣を導師として、本願人西尾喜兵衛、西尾伊右門、西尾清助、の三名が現在の地に再建したと棟札に見え、以来今日迄上手向区(旧上手向村)の親神として、特にこど・・・・・・・・・・ |
509-7603 岐阜県恵那市山岡町上手向1505番地 |
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恵那市支部 1624 |
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八王子白山神社
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延宝五年四月創祀。その他由緒記載なし。・・・・・・・・・・ |
509-7711 岐阜県恵那市明智町東方字内海戸752番地 |
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恵那市支部 1638 |
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武並神社
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詳細
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野井の草分の時代分ならずと雖も、本社は万治二年九月巌邑住丹羽勘兵衛創立。又天和三年六月巌邑城主丹羽権兵衛再建とあり。然るに正保二年の野井の地図に戸数僅か十三戸有る中に麗々しく書き入れあるなり。依って万治二年以前に建立ありし事明かなり。是武並社の一にして六個の塚を有して歴代巌邑藩の崇敬最も深く、祭典に・・・・・・・・・・ |
509-7123 岐阜県恵那市三郷町野井砥取1987番地の1 |
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恵那市支部 1557 |
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南神社
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創祀未詳なれどもも里伝に曰く、本村南組各務某氏柘植氏の祖先これを創建すと云ふ。爾来南組三十四戸の者崇敬神とす。明治四年旧苗木藩の命により本村村社、字五明所足太田神社境内末社伊邪那美神社を合祀す。明治十三年三月十三日氏子の請願により、復旧を許可し、無格社となる。・・・・・・・・・・ |
509-8232 岐阜県恵那市飯地町2410番地の1 |
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恵那市支部 1673 |
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武並神社
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詳細
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創立未詳なりと雖も旧記によれば、天正三年九月当三郷村佐々良木旧家田中家第十五代足立新五郎が現在地に当家の為に氏神を祀りたるに濫觴を経て、慶長四年に至り当地鎮護の神として氏子一同より帰依し、現今に至る。当時領主岩村遠山城主武並大権現を奉祀したるも維新の節笠松縣吏神社調べに巡回して、爾今改むべしと命じた・・・・・・・・・・ |
509-7124 岐阜県恵那市三郷町佐々良木字鵜遠51番地の1 |
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恵那市支部 1558 |
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熊野神社
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寛永四年創祀。里伝に曰く、天正の始め恵那郡串原城主遠山氏の臣大島兵衛九郎と云ふ人紀州東牟婁郡本宮村熊野坐神社より迎へ祀るとなり。本村大島氏の者皆此の人の裔にして、今の社殿は明治十九年六月四日の再建に係ると云ふ。昭和六年四月字裏山無格社金刀比羅神社。字山室無格社津島神社。字牧無格社御嶽神社。大字小田子・・・・・・・・・・ |
509-7512 岐阜県恵那市上矢作町下字宮本467番地 |
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恵那市支部 1603 |
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太田神社
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古来猿田彦大神は宇沖田に鎮座ましまし、氏神の神社祭神号を白髭大明神と称し、勧請年月不祥なりといえども従来村内挙りて厚く尊敬せり、末座大神は従前各組に一社づつ其余は各組に散乱ましましたり、然るに明治四年辛末三月旧苗木領主の命により、此の所へ新宮を築き社殿を営み、氏神と遷座すると同時に、村内小祠に至るま・・・・・・・・・・ |
509-8232 岐阜県恵那市飯地町137番地の1 |
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恵那市支部 1669 |
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