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津島神社
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創立年月日不詳なれど、天明七年六月十四日牛頭天王と記せる燈明現存し、旧称天王様と云へる古社なり。言ひ伝へに依れば尾張國津島町に鎮座せる津島神社より分霊せしものといふ。旧暦六月十四日の夏祭りも同一日なり。明治四十一年二月八幡神社を合わせ明治四十一年七月山神神社を合祀せり。・・・・・・・・・・ |
503-0531 岐阜県海津市南濃町安江字木戸1222番地 |
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海津市支部 681 |

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津島神社
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由緒不詳なるも、古老の説に依れば、元応二年長者平の長者なる糟川新五太夫藤原貞成は長国寺と共に此の神社を創立し、小倉明神と称えたるも、長者平の一族没落後大洪水にて流失したるより新たに津島神社を建立したりと云ふ。・・・・・・・・・・ |
503-2501 岐阜県揖斐郡揖斐川町春日美束1852番地の1 |
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揖斐郡支部 3085 |

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津島神社
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創祀未詳なり。里伝に曰く、上代当地方開闢に当たり、地主神を奉斎したるものにして、牛頭天王と称し、神威顕然たる神社なり。慶長年間及び安永八年八月再営の棟札存す。・・・・・・・・・・ |
506-2104 岐阜県高山市丹生川町大沼字渚271番地 |
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大野支部 2135 |

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津島神社
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平成十四年一月三十一日伊太祈曽神社に吸収合併・・・・・・・・・・ |
506-1156 岐阜県飛騨市神岡町山田524番地 |
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吉城郡支部 1248 |

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津島神社
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創祀未詳なれども、延宝二年九月再建の棟札あり。柏森と称するや此の境内に柏木多数生立つるを以て、その地の字となりたるものなるべし。祭礼九月十一日糠米の赤飯を供へ、拝殿に於いて氏子残らず直会するの古例なり。濃州志略に天王の祠と見えたる祠なり。明治元年三月社号を改めて津島神社と称し、社格の儀は従来氏子ある・・・・・・・・・・ |
505-0116 岐阜県可児郡御嵩町御嵩783番地 |
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可児支部 555 |

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津島神社
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創祀未詳。明暦四年五月四日再建とあり。寛延四年十月石段を造営。安永二年七月及び安永七年六月石灯籠を奉納し、天保十五年十月石段を増営せり。明治二十に知念四月一日社殿を改築せり。明治三十九年三好徳松石造鳥居を寄進建立す。・・・・・・・・・・ |
509-7401 岐阜県恵那市岩村町飯羽間字西川432番地 |
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恵那市支部 1588 |

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津島神社
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里伝に依れば、明和年中疫病大いに流行した故に諸病鎮遏のため尾張津島神社の御分霊を奉迎して創建したといふ。神社の神域にはいにしえは境外にあっが、安政末時代より現地に奉遷したものであるそうである。此の神社地旧地は唯願寺領で(朱印地)あったのである。毎年例祭には必ず神饌に供したる御酒一樽を同寺に贈ることに・・・・・・・・・・ |
503-1632 岐阜県大垣市上石津町下山367番地の1 |
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養老上石津支部 3248 |

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津島神社
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大和村誌に「御神体は霊石、本宮尾張海部郡(今海東郡)門直庄神島(今津島)に在り。本社鎮座地は元伊尾野村と称せしが、此地往古久瀬川北流し主要なる船付場にて、鎌倉時代尾張津島港繁栄の頃此の要津も隆盛し、当時本宮より分祀と此の湊の鎮守神とせり。当時は津の神今世は疫勵の神とす」と出ている。津の神として祀った・・・・・・・・・・ |
501-0603 岐阜県揖斐郡揖斐川町上南方1776番地 |
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揖斐郡支部 2950 |

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津島神社
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創祀未詳なりと雖も、正慶二年三月一日当村住安江與三郎政生、牛頭天王、白山大権現、熊野権現の三社を勧請し、創建せしなりと伝ふ。当時人口未だ少なく且つ世は戦国時代に入り、社殿一時衰頽に属せるも、文明元年に至り、再興。累次の営繕修築を重ね、今日に及ぶ。神域老樹鬱蒼として、幽麗を極め、御神徳いよいよ高く霊験・・・・・・・・・・ |
509-1221 岐阜県加茂郡白川町上佐見2544番地 |
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加茂郡支部 513 |

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津島神社
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当社の創立は慶長年間以前とす。昔社僧家たりし正明寺の古文書(天文十九年三月金蔵院蔵書に依れば、慶長年間以前の古社たる事明らかにして、社伝に第六十六代一条天皇の御宇源頼朝臣頼光当國々主となりて下向せし時、家臣結勘太夫に命じて年来尊崇せる牛頭天王を此の里に祀らしむ。是当社の創建なり。後鳥羽天皇の建久元年・・・・・・・・・・ |
503-0112 岐阜県安八郡安八町東結778番地 |
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安八郡支部 22 |

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