津島神社 (つしまじんじゃ)
通称     
てんのうさん
天王さん
主祭神  
      素盞嗚神(すさのおのかみ)
摂末社祭神     
地図 map
住所        
〒503-0112 岐阜県安八郡安八町東結778番地
由緒由来  
当社の創立は慶長年間以前とす。昔社僧家たりし正明寺の古文書(天文十九年三月金蔵院蔵書に依れば、慶長年間以前の古社たる事明らかにして、社伝に第六十六代一条天皇の御宇源頼朝臣頼光当國々主となりて下向せし時、家臣結勘太夫に命じて年来尊崇せる牛頭天王を此の里に祀らしむ。是当社の創建なり。後鳥羽天皇の建久元年十一月源頼朝上洛の時、祠前を過ぎたるに馬俄に停り進まず。頼朝怪しみて何ぞと問ふに、侍臣牛頭天王の祠なりと答ふ。頼朝曰く是我が祖先の奉祀する所なりと馬を下りて参拝し幣帛を捧げ、且つ社殿の造営を命じ、社領を寄進したりと云ふ。是より結大明神と並び称して結の里の二大鎮守神となる。又後奈良天皇の天文年中に至り稲葉城主斉藤道三の家臣日比野下野守清實此の里に住して三千石も領し、深く当社を尊信し、城主の命に依り、社殿を造営し、神領を寄進し、祭器調度品等数多献れり。後に城主斉藤氏織田信長の為に滅され、社殿兵火に罹り、社領又武士の横領する所となり、一時衰頽に傾きしが、天正年間に至り堺の商人大谷友三郎と云ふ者当社を尊崇して、家運隆盛を極め、其の御神徳報賽として社殿を再建したり。斯して後大垣領となるや藩主戸田氏より金幣を奉り家臣をして屡々参拝せしめ祈願せられたりと云ふ。著明の古社にして近郷の尊崇篤く村々に昇格を出願せんとし境内地二百四十九坪なるを以て更に七十八坪境内編入の許可を得、社殿の造営基本財産の造成に努め、大正八年村社昇格を出願同年五月十四日村社に列せらる。享和三年御領内明細記事東結村の條に左の記録あり。 一、牛頭天王 社一尺八寸二尺二寸 境内八畝九歩 御除地。
祭礼情報  
7月15日