|
日吉神社
|
詳細
|
永仁元年三月比叡山麓に鎮まります山王権現日吉神社の御分霊を勧請し此山に祀り、山王権現日吉神社と称へ奉りしが、その後略して日吉社又は山王社と称へ来りしが、明治年代に至り、長谷神社と改めしが、適当ならざるを以て昭和二十二年六月三十日日吉神社と改称す。・・・・・・・・・・ |
501-3805 岐阜県関市本郷町60番地 |
|
|
関市支部 880 |
|
日吉神社
|
詳細
|
天文十三年四月二十日創祀。当地宮地氏の家に伝来せる古記録に云ふ。土岐家に安藤、遠藤、宮地、山内の四人あり。其の一人宮地は半原に居住し、子孫の為当社を造立せりと記せり。又、其の頃斉藤山城守謀反を企て土岐の一類滅亡に及びたれ共、其の末裔当社に仕へ来れる由古老の説をも記せり。瑞垣の内偉なる檜二本あり。共に・・・・・・・・・・ |
509-6251 岐阜県瑞浪市日吉町4957番地 |
|
|
瑞浪市支部 1870 |
|
日吉神社
|
詳細
|
創建年紀不詳。古来村社として崇敬す。維新に付旧大垣藩の節官吏派出神實検査の上取り除きその後古来管理人本村五島庄兵ェ直径四寸余りの圓鏡寄付せり。明治四年十月十日元大垣縣社祠宮掌右圓鏡を以て永世鎮護の神實に勧請殿内に納む。・・・・・・・・・・ |
503-0971 岐阜県大垣市南一色町字池ノ川221番地 |
|
|
大垣市支部 2050 |
|
日吉神社
|
詳細
|
天正六年七月創祀。古文書棟札は往年大洪水の為流失し、現存せず。旧信州義村家系譜反旧記録に依れば、元応二年正二位青松播磨少弼國長播磨國沖に居住す。同年正月十五日後醍醐天皇に随従し、家名を赤松と改め武門となる。國長の嫡子赤松二郎判官則村は後醍醐天皇に仕ふ。然るに御若宮護良親王に従隋し沙門となり、比叡山に・・・・・・・・・・ |
501-0523 岐阜県揖斐郡大野町下方字上地1060番地 |
|
|
揖斐郡支部 2909 |
|
日吉神社
|
詳細
|
創立の儀天文二十二年と伝ふるも確実ならず。天文二十三年当村主遠藤六郎左衛門盛数といふもの、西京より勧請し、同村字和良殿に鎮座し奉り崇敬日増しに盛大なりしが、元禄十六年の大洪水の難に社宇悉く埋没せしより、御神体のみ避難その後今の地に奉遷安置せり。・・・・・・・・・・ |
501-4517 岐阜県郡上市和良町沢岡本907 |
|
|
郡上市支部 1486 |
|
日吉神社
|
詳細
|
当社は正親町天皇の御宇天正元年8月滋賀県坂本の日吉大社より勧請奉祀。祭神大山咋神(素盞男神の御孫)は治山、治水、酒造、土木の知識に、長け給ふ神様であります。配祀神大已貴神(素盞男神四世の御孫)は又の名を大国主神(大黒様)葦原色許男神宇都志玉神と申し上げ、慈悲深く知慧才覚に恵まれ胆力もあり、農業、工業・・・・・・・・・・ |
502-0931 岐阜県岐阜市則武2600番地 |
|
|
岐阜市支部 1214 |
|
日吉神社
|
詳細
|
創祀不詳。由縁不詳。明治四十二年四月二十五日字記録岩無格社記録岩神社(不詳)を合併す。明治四十四年六月十八日本社境内津島神社、同字雄有洞無格社金刀毘羅神社、同境内天満社、同字木入戸無格社山神社を合併す。・・・・・・・・・・ |
501-2607 岐阜県関市武芸川町宇多院1121番地 |
|
|
武儀支部 2599 |
|
日吉神社
|
詳細
|
創祀未詳。享保十四年九月本村再建。鈴木三右ェ門重正、矢嶋辯ェ門並びに氏子中と記せし棟札あり。濃州志略に山王祠と載せたる祠なり。此の社内に古き獅子頭あり。里伝に云ふ。往古は当村並びに隣村大森と一列になり久々利村村社浅間神社例祭の日、獅子頭を振り立て浅間神社へ登山せし処、本村、大森村争論の事件出来、両村・・・・・・・・・・ |
509-0222 岐阜県可児市羽崎字中洞754番地の1 |
|
|
可児支部 599 |
|
日吉神社
|
詳細
|
創祀未詳。由緒記載なし。・・・・・・・・・・ |
505-0124 岐阜県可児郡御嵩町比衣1236番地の1 |
|
|
可児支部 564 |
|
日吉神社
|
詳細
|
近鉄養老線の広神戸駅の北東に鎮座する。旧県社。弘仁8年(817)最澄が近江日吉神社の大宮、二宮、宇佐宮、樹下宮の四社を勧請して創建。貞願2年(860)円仁が客人宮、牛尾宮、三宮の三社を追斎し、延暦寺が本社と同じに崇敬する基をかためたと伝えられる。一説には、最澄に帰依した郡領安八大夫安次が勧請したもの・・・・・・・・・・ |
503-2305 岐阜県安八郡神戸町神戸字上ノ宮1番地の1 |
|
|
安八郡支部 94 |
|