
|
日吉神社
|
詳細
|
文政九年当村大字宮大神神社の御分霊を奉迎し、豊福大明神と称し、又日吉神社を合祀して、古社大明神と改称し、明治六年より日吉神社と改む。・・・・・・・・・・ |
503-1623 岐阜県大垣市上石津町上多良561番地 |
 |
|
養老上石津支部 3238 |

|
日吉神社
|
詳細
|
天文十三年四月二十日創祀。当地宮地氏の家に伝来せる古記録に云ふ。土岐家に安藤、遠藤、宮地、山内の四人あり。其の一人宮地は半原に居住し、子孫の為当社を造立せりと記せり。又、其の頃斉藤山城守謀反を企て土岐の一類滅亡に及びたれ共、其の末裔当社に仕へ来れる由古老の説をも記せり。瑞垣の内偉なる檜二本あり。共に・・・・・・・・・・ |
509-6251 岐阜県瑞浪市日吉町4957番地 |
 |
|
瑞浪市支部 1870 |

|
日吉神社
|
詳細
|
永仁元年三月比叡山麓に鎮まります山王権現日吉神社の御分霊を勧請し此山に祀り、山王権現日吉神社と称へ奉りしが、その後略して日吉社又は山王社と称へ来りしが、明治年代に至り、長谷神社と改めしが、適当ならざるを以て昭和二十二年六月三十日日吉神社と改称す。・・・・・・・・・・ |
501-3805 岐阜県関市本郷町60番地 |
 |
|
関市支部 880 |

|
日吉神社
|
詳細
|
創建年紀不詳。古来村社として崇敬す。維新に付旧大垣藩の節官吏派出神實検査の上取り除きその後古来管理人本村五島庄兵ェ直径四寸余りの圓鏡寄付せり。明治四年十月十日元大垣縣社祠宮掌右圓鏡を以て永世鎮護の神實に勧請殿内に納む。・・・・・・・・・・ |
503-0971 岐阜県大垣市南一色町字池ノ川221番地 |
 |
|
大垣市支部 2050 |

|
日吉神社
|
詳細
|
創立の儀天文二十二年と伝ふるも確実ならず。天文二十三年当村主遠藤六郎左衛門盛数といふもの、西京より勧請し、同村字和良殿に鎮座し奉り崇敬日増しに盛大なりしが、元禄十六年の大洪水の難に社宇悉く埋没せしより、御神体のみ避難その後今の地に奉遷安置せり。・・・・・・・・・・ |
501-4517 岐阜県郡上市和良町沢岡本907 |
 |
|
郡上市支部 1486 |

|
日吉神社
|
詳細
|
天正六年七月創祀。古文書棟札は往年大洪水の為流失し、現存せず。旧信州義村家系譜反旧記録に依れば、元応二年正二位青松播磨少弼國長播磨國沖に居住す。同年正月十五日後醍醐天皇に随従し、家名を赤松と改め武門となる。國長の嫡子赤松二郎判官則村は後醍醐天皇に仕ふ。然るに御若宮護良親王に従隋し沙門となり、比叡山に・・・・・・・・・・ |
501-0523 岐阜県揖斐郡大野町下方字上地1060番地 |
 |
|
揖斐郡支部 2909 |

|
日吉神社
|
詳細
|
創祀不詳。由縁不詳。明治四十二年四月二十五日字記録岩無格社記録岩神社(不詳)を合併す。明治四十四年六月十八日本社境内津島神社、同字雄有洞無格社金刀毘羅神社、同境内天満社、同字木入戸無格社山神社を合併す。・・・・・・・・・・ |
501-2607 岐阜県関市武芸川町宇多院1121番地 |
 |
|
武儀支部 2599 |

|
日吉神社
|
詳細
|
創祀未詳。享保十四年九月本村再建。鈴木三右ェ門重正、矢嶋辯ェ門並びに氏子中と記せし棟札あり。濃州志略に山王祠と載せたる祠なり。此の社内に古き獅子頭あり。里伝に云ふ。往古は当村並びに隣村大森と一列になり久々利村村社浅間神社例祭の日、獅子頭を振り立て浅間神社へ登山せし処、本村、大森村争論の事件出来、両村・・・・・・・・・・ |
509-0222 岐阜県可児市羽崎字中洞754番地の1 |
 |
|
可児支部 599 |

|
日吉神社
|
詳細
|
当日吉神社は岐阜県土岐郡瑞浪土岐町大字寺河戸字森本77o番地の1に鎮座。祭神は大山咋神(亦の御名山未之大主神)と申し上げ、大年神の御子素盞鳴尊の御孫に坐す大神は山林、河川、田畑、造酒等農産事業に功績多く、生民安息の道に広大なる御神徳を垂れさせ給ふ御神なり。慶長二年十一月(後陽成天皇御宇)寺河戸(旧称・・・・・・・・・・ |
509-6128 岐阜県瑞浪市宮前町1丁目45番地 |
 |
|
瑞浪市支部 1858 |

|
日吉神社
|
詳細
|
創祀未詳。由緒記載なし。・・・・・・・・・・ |
505-0124 岐阜県可児郡御嵩町比衣1236番地の1 |
 |
|
可児支部 564 |

|