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八幡神社
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詳細
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創祀不詳。由縁不詳。昭和二十五年六月山添、文殊村を本巣村と改称合村。・・・・・・・・・・ |
501-1203 岐阜県本巣市文殊西ノ門1134・1207番地 |
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本巣郡支部 2823 |

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八幡神社
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創祀未詳なれども、元禄検地除地帳に八幡宮此境内四畝歩とあり。例祭日四月二十三日。・・・・・・・・・・ |
509-4111 岐阜県高山市国府町山本1275番地 |
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吉城郡支部 1294 |

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八幡神社
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勧請創建年代未詳なるも往古より白川村北部地方一般の産土神として敬はれ元禄七年八月当郡代官戸田采女正内殿の御調に八幡宮地一反四畝十五歩郷中拘とあり。一般の崇敬厚く明治四年九月村社に列せらる。・・・・・・・・・・ |
501-5622 岐阜県大野郡白川村芦倉字家ノ南137番地 |
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大野支部 2115 |

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八幡神社
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惣島、弓掛両村山境に奉祀せる神を現在地に遷座し、下馬瀬五ヶ村(井谷、名丸、惣島、西村、下山)の産土神とすると伝へる。社宝に鰐口一口あり。その銘に「文亀三年三月十日、地蔵菩薩宝前敬白」とあり。中古以来八幡大菩薩を祀る宮として菩薩宮と称する。故に地蔵菩薩と誤りたるか。或いは地蔵菩薩を八幡大神の本地佛とせ・・・・・・・・・・ |
509-2614 岐阜県下呂市馬瀬惣島467番地 |
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益田支部 331 |

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八幡神社
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当社は、大垣市西外側町に鎮座しており、応神天皇、神功皇后、比売神をお祀りしている。天平・勝宝元年(749)東大寺が建立された時宇佐から迎え奉った八幡さまを正慶・建武(1332-1335)の年間即ち南北朝時代にこの地へ勧請したものであります。当時この地は大井荘といって東大寺の寺領でありましたが美濃国安・・・・・・・・・・ |
503-0908 岐阜県大垣市西外側町1丁目1番地 |
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大垣市支部 2016 |

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八幡神社
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創立年紀、勧請の縁由不詳。古老の伝聞に、保安頃、当村の長(誰と云ふ事を知らず)たる者山城國鳩峯岩八幡宮より分身奉迎し以て村社とし、全村を氏子とす。大正二年十月十一日字天王東、村社素盞鳴神社字西村中村社貴船神社の二社を合併す。・・・・・・・・・・ |
501-0221 岐阜県瑞穂市只越字八幡西1228番地 |
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本巣郡支部 2680 |

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八幡神社
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夫れ当社は伝記の実録なしと雖も古老の口碑に傳ふる処に依れば寛保年中今の山下道治なる者の遠祖市兵衛と云ふ者山城國石清水八幡宮より御分霊を奉迎して鎮祀するものなり。・・・・・・・・・・ |
501-2504 岐阜県岐阜市山県岩200番地 |
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岐阜市支部 1117 |

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八幡神社
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応和二年創祀。村上天皇応和二年国主美濃権守多田満仲勧請なり。相続て美濃守頼光美濃守頼信当国主たるに依り、崇敬あり。永承六年伊予守頼義安部一族を征討の為発向の時当社に祈願あり。後承暦三年八月陸奥守義家此の地に至りて当社を拝す。又、応保元年三位頼政当郡市橋村庄乙津村(今称鏡島村)に来り住居す。同二年六月・・・・・・・・・・ |
502-0914 岐阜県岐阜市菅生3丁目5番2号 |
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岐阜市支部 1209 |

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八幡神社
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創祀元禄年間。兼六年間下河和に飢饉あり。土地の一部を保木脇に売る。保木脇之を横持と名付けて鎮守の神として八幡宮を祀る。氏子の為鎮座の地と共に山林四十町歩を保木脇・下河和の入会地とする。両集落の円満なる時に於いても一神殿に於いて両集落各々別に祭事を行ふを常とする。何時の頃か識者両集落の将来に思いを致し・・・・・・・・・・ |
501-3704 岐阜県美濃市保木脇下河和入会3番地 |
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美濃市支部 2457 |

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八幡神社
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当神社は創建年紀不詳なりと雖も、小関村の起源は最も古し。即ち壬申の乱の際天武天皇此の地に大捷を得給ひ、関東の地勢たるや軍事上警備上重要なる地点たる事を認められ、之がため翌白鳳元年には此の地に不破の関の正庁を設置せらる際小関村は北国脇往還の関門たるの故を以て不破関(大関)の姉妹関たる(小関)を置かる。・・・・・・・・・・ |
503-1501 岐阜県不破郡関ケ原町関ケ原字一二ノ湯1371番地 |
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不破郡支部 2508 |

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