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八幡神社
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天正十六年四月二十八日旧領主竹中吉助殿創建元和九年二月十八日越前國主宰相忠直卿再建。・・・・・・・・・・ |
503-1500 岐阜県不破郡関ケ原町字福井907番地 |
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不破郡支部 2505 |

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八幡神社
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美濃國神名帳に曰く、各務郡二十二座の内従五位下児我明神是なり。曾て当村の内中仙道の往還筋の辺に今児我野と云ふ地あり。僅かに小高き処あり。此処小樹数本生茂り荊棘蔓延し、其の中央に径一尺許りの一圓石あり。これ土俗八幡と称し児我八幡とも呼ばる。此の児我神は祭神伊我香色乎雄命ならんか。物部氏の祖神にして当國・・・・・・・・・・ |
509-0105 岐阜県各務原市各務山の前町4丁目199番地 |
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各務原市支部 820 |

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八幡神社
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創祀未詳。享保十九年七月二十七日二品親王より宣旨及び正一位八幡宮の御親筆御下賜相成りたり。元往年当神社に奉仕せる神職(元法印)当氏子の請願により、境内へ院を建て、請艘せり。法印は常に敬神の道に怠らず、勤行し、報本反始の大義を時に氏子に説く処あり。故を以て宝永四年七月一日時の社司奉行より金剛院の院号を・・・・・・・・・・ |
509-0247 岐阜県可児市塩河568番地の1 |
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可児支部 618 |

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八幡神社
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天慶五年九月創祀。朱雀天皇天慶五年九月創建にして栗原氏の崇敬厚し。境内に天然記念物の「いちいかし」樹ありて約七百年の樹齢なり。
当社の有する栗原は、4世紀頃から 柴原勝の姓を名乗る一族が支配していました。781年に栗原連を許されて右京にあって朝廷に仕へ以後この地に住み生活をしていました。その栗・・・・・・・・・・ |
503-2123 岐阜県不破郡垂井町栗原1868番地 |
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不破郡支部 2568 |

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八幡神社
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寛文元年九月十五日創祀。明治五年三月二十三日神鏡を京都より奉迎字松源地坂下社へ合祀。明治八年九月十三日元氏子還座の儀を願い出、許可。明治八年九月十三日復祭。
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509-9232 岐阜県中津川市坂下字合郷1494番地 |
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中津川市支部 2297 |

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八幡神社
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御名は譽田別尊、仲哀天皇の皇子。御母は神功皇后なり。皇后胚孕の御身を以て韓国を征平し給ひ、班師の時、筑紫の宇美にて天皇を誕生し給ふ。天皇御宇の間文学工芸を興し、皇威内外に輝し給へり。後聖武天皇の御代八幡大神と奉称す。又(斐太後風土記)云無数河久々野両区の村社祭神に久々能智神合祀とあり、この大神は伊邪・・・・・・・・・・ |
509-3205 岐阜県高山市久々野町久々野1336番地 |
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大野支部 2172 |

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八幡神社
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明暦三年五月十五日創祀。当社御祭神は品陀別命にして、後に応神天皇と諡せり。御本社は京都府下男山八幡宮なり。当社は明暦三年五月十五日創建と明細帳に見ゆれ共、古老の口碑に依れば、土岐頼遠氏足利直義に従ひて戦功あり。後延元三年青野原に於いて源頼家と戦ひ、戦敗して長森城に帰る。よって神明の加護に依らずんば戦・・・・・・・・・・ |
509-5101 岐阜県土岐市泉町河合字宮洞1020番地の2 |
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土岐支部 2308 |

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八幡神社
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この地は大化改新の頃この平野を開発し各自の崇敬する神霊を勧請し庄の北端である十四条に奉祀したのが本社の起源である。其の後享録3年4月西濃一円の大洪水の為五社共流出、辛うじて御神体のみを御遷座。同年9月現在地を選び再建されたと言い伝えられている。再建された社は相当大規模な物で、山伏屋敷、神主屋敷等を擁・・・・・・・・・・ |
501-0464 岐阜県本巣市十四条字村之内859番地 |
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本巣郡支部 2796 |

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八幡神社
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創祀未詳。里伝に曰く、生駒氏城当村今の古城山に城あり。当社に当たりて鬼門なり。依って鬼門守護のため勧請せしもの也と云ふ。元同村字渡鎮座稲荷神社、同字鎮座秋葉神社同年四月二十五日八幡神社に合祀奉斎す。・・・・・・・・・・ |
509-0206 岐阜県可児市土田2906番地 |
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可児支部 583 |

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八幡神社
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創立慶安二年十一月五日之を奉建す。元禄二年二月十一日再建。明治六年村社に列す。・・・・・・・・・・ |
507-0055 岐阜県多治見市喜多町8丁目28番地 |
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多治見支部 1917 |

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