|
久津八幡宮
|
詳細
|
今から1600年も昔、飛騨国に両面宿儺という怪賊がいて、時の仁徳天皇は御弟の難波根子武振熊命を飛騨国にお遣わしになって宿儺を討って飛騨国を平定開拓されました。この時、武振熊命は、御父応人天皇の御霊をお祀りして武運長久と国土平安を祈られましたのが久津八幡宮の始めであると伝えられています。それから八百年・・・・・・・・・・ |
509-2518 岐阜県下呂市萩原町上呂2345番地の1 |
|
公式HP |
益田支部 321 |
|
広見神社
|
詳細
|
可児郡可児町広見1026番地雷神社へ何れも元村社である伊香1027番地村木神社同119番地津島神社。同2601番地神明神社、同2057番地星宮神社。同1215番地諏訪神社。可児町石井187番地神明神社を合併し、昭和三十二年三月二十二日本庁の承認を得て広見神社と改称す。即ち雷神神社は無格社なれども雨乞・・・・・・・・・・ |
509-0214 岐阜県可児市広見1026番地 |
|
|
可児支部 594 |
|
大日女神社
|
詳細
|
創祀未詳なるも、弘治二年、安江太郎八氏当社を再建す。然るところ、当時里人未だ稀少なるが為、社堂殆ど大破に及べり。夫れより数十年を経て、天和二年に至りて熊崎與六氏再三建立の思慮を企て、同年十月五日に再建立成就すと云ふ。その工事中地中より神鏡を掘り出し之を神体として奉祀せしものと後傳す。その後安政五年八・・・・・・・・・・ |
509-1222 岐阜県加茂郡白川町下佐見3995番地の1 |
|
|
加茂郡支部 519 |
|
卯野原神社
|
詳細
|
益田郡金山町卯野原字宮ヶ平446番地の1神明神社、祭神は天照皇太神、仁徳天皇を奉齋する。創立年月日は不詳なるも、明治四十一年二月二十六日指定村社となる。益田郡金山町卯野原字上垣内1788番地の1稲荷神社、祭神は倉稲魂命を奉齋し、創立年月日不詳なるも当村内の新田を開墾当時五穀豊穣祈願のため倉稲魂命を勧・・・・・・・・・・ |
509-1602 岐阜県下呂市金山町卯野原字損名洞1356番地の16 |
|
|
益田支部 291 |
|
五加神社
|
詳細
|
合併合社して五加神社を創立したるも、社歴は遠く至徳年中当村神矢渕水上に白羽の矢浮かびて上流に向かって遡る。村民奇異の思をなす。忽ちにして一の光物と変じこの山上に止まる。依って社殿を創立して八幡大菩薩を勧請すと云ふ。明応四年再建、享保二十年に至り本殿を造営せり。後維新の際、八幡神社と称し、明治四年柏本・・・・・・・・・・ |
509-1303 岐阜県加茂郡東白川村五加932番地 |
|
|
加茂郡支部 526 |
|
撞玉神社
|
詳細
|
創祀未詳。里説に曰く、往古此の地開墾のはじめ、民家五戸なり。その頃風儀として家毎に産土神を勧請す。中古益々栄えて民家多く連なりし故に、村内集まり議りて処々の小社を字上の平の神明宮の本殿に合祀せると云い伝えたり。後五社の神社と崇敬す。後年々祭祀礼典一組の産土神と尊敬す。当社は元五社神社と称せしが、明治・・・・・・・・・・ |
506-1202 岐阜県飛騨市神岡町中山441番地 |
|
|
吉城郡支部 1255 |
|
朝浦八幡宮
|
詳細
|
御鎮座の此山東高原川の奔流に峙し険崖高五十間西奥高原の道路に傍で高二十間路下に吉田川の小流あり。南鳥居の間夕路斜にして九十間北険にして四十間絶頂平地周廻二町半総て峻険して松杉鬱蒼たり。北愛宕山に次て外四山の脈を断ち民戸を隔ち清浄なる一小山なり。里説に所謂往古高原郷開拓の祖神を奉齋し、之を高原神(高良・・・・・・・・・・ |
506-1162 岐阜県飛騨市神岡町朝浦601番地 |
|
|
吉城郡支部 1254 |
|
白幡神社
|
詳細
|
創祀不詳なれども、棟札写しの如く、白髪八幡両者として信仰し来れる古社なり。然るに明治維新前は寺院の分配なりしを以て神仏混斎禁止の際、証拠となる物件は藩吏の為に総て破却せられ加ふるに支配寺は天保年間焼失したるにより、古文献など伝ふるもの無し。されど神社明細帳の如く、当社は最古く譽田別天皇相殿座して、村・・・・・・・・・・ |
509-1431 岐阜県加茂郡白川町黒川8183番地 |
|
|
加茂郡支部 531 |
|
住吉神社
|
詳細
|
創祀未詳なれども本殿棟札によれば、寛仁元年住吉大神とあり。又長保三年三月吉と刻字の狛犬一対を存す。縁起に曰く、当國高原郷殿村城主江馬輝経以来江馬家十六代の守護神にして年々賽物奉供直会等の事あり。又当國荒城郷地頭職多好方及び其息好節正治年間神楽奉納の事あり。当時使用と称する能楽面を蔵す。永禄年中江馬常・・・・・・・・・・ |
506-2103 岐阜県高山市丹生川町折敷地字宮ノ下722番地 |
|
|
大野支部 2134 |
|
麻生野神社
|
詳細
|
天文九年創祀。江馬十四代左京之進平ら時経次男右ェ門太夫直盛と倶に麻生野洞ノ山に分城を築き、此処に居す。之を麻生野右ェ門太夫直盛と称す時に天文九年麻生野字野田に宇佐八幡宮を勧請すと云々。又里説に所謂直盛麻生野の野を開墾し野田と字して其の中央に此の大神を勧請し、その地主神と祭祀を執行、崇敬すと云う。江馬・・・・・・・・・・ |
506-1131 岐阜県飛騨市神岡町麻生野296番地 |
|
|
吉城郡支部 1231 |
|