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縣神社
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当社は美濃市曽代、標高437メートルの古城山の麓、曽代川が長良川に注ぐところ、小だかき丘に鎮座する。古くからの曽代の産土神であった。此処に承応3年(1654)村人達は当地の豪族西部義久公を慕って奉斎した。西部義久公は、清和天皇の後裔、姓は源、義仲の時代に姓を木曽と改め、それより七代の孫、木曽又太郎家・・・・・・・・・・ |
501-3714 岐阜県美濃市曽代287番地の1 |
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美濃市支部 2463 |
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丸山神社
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古くより丸山に鎮座し、元白山神社と奉号す。享保年間に再建、明治2年8月当時字上の町出日神社建立鎮座奉斎、明治12年6月20日岐阜県庁の許可を受け村社となる。明治41年12月7日内務省によって再び白山神社に合し、改めて丸山神社と号す。丸山神社は苗木城下にあって、城主遠山氏の崇敬があつかった。又、境内に・・・・・・・・・・ |
508-0101 岐阜県中津川市苗木字苗木3341番地 |
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中津川市支部 2235 |
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上地神社
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宝暦八年再建後、文化五年十一月拝殿補修。従来南宮神社と奉称し来りしが、明治二年一月二十五日室里神社と改め、其の後明治五年十月改修し、上地神社と奉称し崇敬している。例祭は九月二十九日であるが、いわゆる三九日に祭礼をおこなっている。三九日の重陽の節句・菊の節句という中国の考え方と稲の収穫の季節とかさなり・・・・・・・・・・ |
508-0101 岐阜県中津川市苗木字瀬戸1029番地 |
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中津川市支部 2230 |
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若宮八幡神社
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創祀未詳、寛永2(1625)年の記録あり。
天和2(1682)年9月25日、倉屋神社で始まった式三番叟「翁舞」の奉納に加わって、二社となり、天下泰平・国土安泰・五穀豊穣、悪疫退散を祈願した。現在は倉屋神社・若宮八幡神社・子安神社・水無神社・大山神社の五社で年毎に交代して、秋の大祭として執行されてい・・・・・・・・・・ |
508-0351 岐阜県中津川市付知町字木ノ下7630番地の1 |
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中津川市支部 2250 |
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玉ノ井神社
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その始めは未詳と雖も、明応天文の頃、鵜飼庄の地頭斉藤利國の時より小野村惣鎮守の玉の井神社とあり、是天文の頃斉藤利良入道の所選美濃続風土紀に載、方縣郡鵜飼庄七郷の神社を記せり。小野村の本社は玉の井神社末社住吉神社とあり、天文の頃土岐在近太夫頼兼しばらく当社を領する時、七郷の里民に命じて一郷ごとにその村・・・・・・・・・・ |
501-1174 岐阜県岐阜市小野2丁目10番地 |
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岐阜市支部 1091 |
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春日神社
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創祀未詳なるも、文明元年以前、常陸國住人小鞠式部太夫兵庫督義重此の邑に来住せり。文明巳元年鹿嶋大明神より祭神を奉迎し来り、鎮守となす。常陸に因み日立村と称す。宝暦四年修復の棟札に初めて春日の神号を書載す。昭和十一年十二月二十四日熊野神社他末社六社を合祀せり。・・・・・・・・・・ |
501-3203 岐阜県関市神野1919番地の1 |
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関市支部 851 |
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日吉神社
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縁由不詳なれども、大字勢至の地は既に奈良朝時代に開け巨刹の建立を見、神護景雲三年不破内親王の遁れて当地に来られし由書に見え、又当地は勢至る千軒寺三ヶ寺とて頗る大村なりしが、時代の推移と共に衰微し、今は戸数僅かに数戸となりしものにして、氏神としての神社の創立も相当に古きものと水量される。但し、文献散佚・・・・・・・・・・ |
503-1256 岐阜県養老郡養老町勢至96番地の1 |
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養老上石津支部 3119 |
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諏訪神社
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創祀未詳なれども、元禄の初年の頃ならん。古老の口碑によれば、東北方古諏訪と云ふ所に檜の摩擦により火を発し、神社炎上せしに依り、今の所に遷座せしならんと云ふ(此の字には現今に於いても檜を忌みて一本も植ゑずと云ふ)故に祭神の一体は黒焦の木造の下半身あるのみなり。尚男性女性二体の木像あれども腐朽して只形体・・・・・・・・・・ |
501-1175 岐阜県岐阜市下西郷1丁目158番地 |
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岐阜市支部 1092 |
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