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八幡神社
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詳細
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由緒不詳なれど、新撰美濃志に柳湊は梶屋の北にあり。尾張領五十二石枝郷一所細江村は西にあり。八幡社は当村にありと見ゆ古社なり。細江の西の川原に義朝楊枝柳と言へる一株あり。義朝が尾張の野間へ落ち行く途中に楊枝を差して行きけるが根付たるものとて古来大切にせしが、近年枯死せり。八幡社の在るも源氏に縁が有るか・・・・・・・・・・ |
503-0631 岐阜県海津市海津町稲山字一の割434番地 |
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海津市支部 728 |
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八幡神社
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詳細
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創建不詳。社地境内に相羽城跡の石柱あり。相羽城は美濃國明細記に曰く長屋大膳之亮景與及其嫡子長屋與五右ェ門景直垂井城主景教の嫡子景興に属、土岐二万石を領し、天文十六年土岐頼芸没落の時斉藤道三に不従為に道三相羽城を攻め十二月景興及景直父子共に戦死す。故に当八幡神社に石碑を建立しありて、後日八幡神社に合祀・・・・・・・・・・ |
501-0522 岐阜県揖斐郡大野町相羽2丁目1299番地 |
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揖斐郡支部 2908 |
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神明神社
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詳細
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創建年月及縁由不詳・・・・・・・・・・ |
502-0002 岐阜県岐阜市粟野東5丁目682番地 |
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岐阜市支部 1171 |
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日吉神社
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詳細
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天正六年七月創祀。古文書棟札は往年大洪水の為流失し、現存せず。旧信州義村家系譜反旧記録に依れば、元応二年正二位青松播磨少弼國長播磨國沖に居住す。同年正月十五日後醍醐天皇に随従し、家名を赤松と改め武門となる。國長の嫡子赤松二郎判官則村は後醍醐天皇に仕ふ。然るに御若宮護良親王に従隋し沙門となり、比叡山に・・・・・・・・・・ |
501-0523 岐阜県揖斐郡大野町下方字上地1060番地 |
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揖斐郡支部 2909 |
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秋葉神社
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詳細
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秋葉大権現は観音菩薩を垂迹而天明五年十一月小沢居住者三宝を奉じ弟子と為り後三番春日井氏庵一宇傲然頗尽輪魚美即請使予遷宮とあり。其の後神威顕著不可度を以て杉平に転たるも小沢者信心頗る厚く、朝暮祈念不怠是歳寛政四年春二月佛工再彫刻尊容すとあり。文○十二年三月再興とあり。天明五年十一月施主小沢 春日井忠左・・・・・・・・・・ |
509-7401 岐阜県恵那市岩村町飯羽間字上平3596番地の1の2 |
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恵那市支部 1587 |
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八剣神社
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嘉元二年二月鎮座。創祀の時後白河天皇の御宇保元二年三月尾州熱田大宮司の舎弟諸国大社巡行の砌偶々濃州小田郷に至るや日本武命が東夷を御親征遊され、御帰還の途上起りたりと伝ふる事象と同一の神秘的なる事象を見たるに因り、必ずや此の地は日本武命に何等かの因縁を有する土地なるべしとて小金塚に地を定め早速社殿を築・・・・・・・・・・ |
509-6115 岐阜県瑞浪市北小田町3丁目193番地 |
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瑞浪市支部 1854 |
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八幡神社
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詳細
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口碑に慶安元年正月創建とす。山城國石清水八幡宮を勧請すと云ふ。金比羅神社不詳。御鍬神社年暦不詳。口碑に中古伊勢國外宮を勧請し五穀豊熟を祈ると云へり。・・・・・・・・・・ |
503-0638 岐阜県海津市海津町安田新田35番地の1 |
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海津市支部 733 |
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神明神社
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詳細
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享和元年八月十五日、伊勢國度会郡伊勢神宮より迎へ来り当村産土神、神明神社として奉祀。爾来八月十五日を以て祭日と定め、祭典を執行し来りしが、現今は毎年四月二十五日を祭日と定めて祭事を行ふ。大正七年五月拝殿を改築す。・・・・・・・・・・ |
509-7401 岐阜県恵那市岩村町飯羽間字中屋1000番地 |
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恵那市支部 1589 |
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若宮八幡神社
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詳細
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百久根美濃國下組土岐郡明世村月吉の里字清水洞に鎮座の若宮八幡神社は延宝八年八月二十四日創建。古来村社に有れ共、其の実棟札に付け、調べるに付け是創建にあらずして、再建なり。元此の月吉村旧幕府徳川家の領地にして、御料所と唱へ、笠松郡代所の支配なりし所、所司代派遣ある毎に此の月吉は古来より和歌集に「みの國・・・・・・・・・・ |
509-6131 岐阜県瑞浪市明世町月吉978番地の1 |
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瑞浪市支部 1859 |
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日枝神社
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詳細
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日枝神社、熊野大権現、この二社を安置し山王大権現として崇めている。この地飯羽間は古来より土地肥沃で水利に恵まれ、農耕が最も古くから始まった。岩村川、富田川、飯羽間川の峡の丘陵に分布点在する数10基の古墳群がそれを証明する。中世この地に修験道が盛んになり福性院が道場として創建されるとその霊場として重畳・・・・・・・・・・ |
509-7401 岐阜県恵那市岩村町飯羽間字下平3229番地 |
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恵那市支部 1586 |
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