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石切神社
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詳細
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伝記に曰く、当社は鏡作祖伊斯許理度賣命を本主として奉崇し、石切と号す。然れども古来より六所宮とも六社明神とも称す。当社は土岐家代々崇敬の神社にして古昔は当國土岐郡大冨村に鎮座ありしを尾張勢三国の管領土岐大膳太夫頼康当地に勧請し、文和二年城郭の東北に遷宮し鬼門除の守護神として奉崇す。然に天文十一年逆臣・・・・・・・・・・ |
500-8246 岐阜県岐阜市下川手字宮34番地 |
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岐阜市支部 961 |
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八幡神社
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創立年月日不詳。正保3年(1646年)9月再建。濃州徇行記に当社を御厨神社と云ひ、(輦道駅村累記)八幡神社、駅南凡そ十八町村社式外なり。祭神譽田別命合祀、伊勢両宮並びに春日神社。創建年紀不詳里伝に曰ふ、伊勢両宮御厨の旧社なり、と伝う。
平成6年不審火により本殿消失するも平成7年氏子達の手により再建・・・・・・・・・・ |
508-0001 岐阜県中津川市中津川字原3423番地の1 |
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中津川市支部 2214 |
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神明神社
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創立年代は不詳である。古老の口伝によると、椋椅(くらはし)某が此の地にきて田畑を開墾し、谷水を使った。地名も「田谷」といい、通称「田谷宮」と里人等に親しまれた。部落の名も「くらはし」から藏柱と改名されたのである。
承久年間より江馬家の領主の庇護により石浦・田谷(上・下)・沖田・かじや・下垣内の各集・・・・・・・・・・ |
506-1314 岐阜県高山市上宝町藏柱4560番地 |
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吉城郡支部 1280 |
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稲越神社
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社伝によれば、平安朝末期以前の創祀。当社は元白山神社と称せしが、明治四十一年十二月同大字南村社春日神社を合併し、稲越神社と改称す。元禄七年六月検地の砌春日大明神宮地一畝十四歩除地村抱。大正四年十一月十四日境外山林八百十六坪境内編入。昭和十六年表参道の新設社号標石鳥居、石灯籠狛犬等を建立す。例祭日九月・・・・・・・・・・ |
509-4312 岐阜県飛騨市河合町稲越514番地 |
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吉城郡支部 1341 |
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六之井神社
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詳細
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仁安二年五月創祀。六条天皇の御宇仁安二年五月勧請。庄内鎮護の古社にして若一王子宮と称し庄内の崇敬最も深厚なる著名の神社とす。按ずるに永暦元年七月二十二日後白河上皇紀伊國熊野の本宮を帝都に勧請し新熊野と称し給ひ仁安二年五月上皇二十八ヶ所の庄内を寄進し給ふ。其の二十八ヶ所の庄園内に濃州池田庄六之井艮の地・・・・・・・・・・ |
503-2425 岐阜県揖斐郡池田町六之井862番地の1 |
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揖斐郡支部 3071 |
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上田神社
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慶長十四年十月創祀。・・・・・・・・・・ |
509-1113 岐阜県加茂郡白川町三川3075番地の1 |
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加茂郡支部 511 |
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榊山神社
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詳細
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当社創建は養老年中(717-723)上苗木荒田栄久の勧請と伝う。
苗木城主遠山家の尊崇厚く天文10年遠山左近公御再建、慶長19年遠山久兵衛友政公御再建、以来代々遠山家より再建修復されしこと棟札記録に存す、社宝三条住吉則作太刀旧国宝は遠山友録公寄進せられるところなり。
徳川時代祇園牛頭天王社・・・・・・・・・・ |
508-0203 岐阜県中津川市福岡500番地 |
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公式HP |
中津川市支部 2239 |
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春日神社
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詳細
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創祀未詳なるも、文明元年以前、常陸國住人小鞠式部太夫兵庫督義重此の邑に来住せり。文明巳元年鹿嶋大明神より祭神を奉迎し来り、鎮守となす。常陸に因み日立村と称す。宝暦四年修復の棟札に初めて春日の神号を書載す。昭和十一年十二月二十四日熊野神社他末社六社を合祀せり。・・・・・・・・・・ |
501-3203 岐阜県関市神野1919番地の1 |
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関市支部 851 |
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八幡神社
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詳細
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創祀未詳なれども、天正十三年再建の記録あり。・・・・・・・・・・ |
508-0006 岐阜県中津川市落合字与坂1083番地 |
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中津川市支部 2220 |
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白山神社
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詳細
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創建年月不詳と雖も嘉吉年中の創建神社なること往古より古老の口碑に存せり。永正二年再建せしが、藪川切込の際流失し、其の後慶長十六年再建以来再三社殿の改造をなし、現在に至る。・・・・・・・・・・ |
501-0411 岐阜県本巣市上高屋26番地 |
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本巣郡支部 2752 |
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