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八幡神社
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口碑に慶安元年正月創建とす。山城國石清水八幡宮を勧請すと云ふ。金比羅神社不詳。御鍬神社年暦不詳。口碑に中古伊勢國外宮を勧請し五穀豊熟を祈ると云へり。・・・・・・・・・・ |
503-0638 岐阜県海津市海津町安田新田35番地の1 |
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海津市支部 733 |
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八幡神社
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元禄八年建立と棟札あり。・・・・・・・・・・ |
505-0305 岐阜県加茂郡八百津町和知3082番地の1 |
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加茂郡支部 387 |
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八幡神社
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元弘元年鎮座。山城國石清水御宮内より迎へ来り、当村産土社八幡宮と奉斎。寛文元年本社拝殿再建す。其の後乱世の時壌廃甚だしく、偶々時の岩村城主式部少輔丹羽氏定(氏定は正保三年より明暦三年までの城主)鷹狩りの節当社に参詣し、其の大破の状を見て恐懼し、本殿社殿拝殿を改築し、之れに渡殿を設け、尚社領として苗田・・・・・・・・・・ |
509-7402 岐阜県恵那市岩村町富田字郷中1915番地 |
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恵那市支部 1593 |
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松尾八幡神社
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鎮座地松尾集落は益田川上流右岸高山線沿線の渓谷にあり。古来木材伐出を生業とし、八幡神社、山神神社を氏神とし、崇敬し来れるを明治四十二年三月十九日距離一里余離るる門坂地内津島神社に合併せられ、今日に及べり。爾後村人両神社の分離復旧を熱望わるも許されす゜、竊に私祭祠を建てて祀る処なり。昭和二十三年村民の・・・・・・・・・・ |
509-3102 岐阜県下呂市小坂町門坂838番地 |
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益田支部 334 |
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八幡神社
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寛文8年南側の地に八幡山安楽院神誓寺を建立して社僧を居き、法印法師たる身分を以って弔事を除く神仏祭事一切を司りて七代、約200年を経たり明治初年神仏分離令が制定され、以前の行為は凡て排除され神官を以って神徳高揚に任ぜられる。明治6年神社諸制度改革のおり当宮も八幡神社と社名を改め社挌を村社に指定される・・・・・・・・・・ |
509-6104 岐阜県瑞浪市山田町468番地 |
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瑞浪市支部 1852 |
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八幡神社
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幼郎子大鷦鷯命に御位を譲り給いし後、其の当時村人祠を造り稚郎子の残し給ひし仮霊牌を祀りて八幡神社を創立せしと云ふ。其の後人皇四十代天武天皇十二年十月二十四日人寝静まる頃の大地震及四十九代光仁帝宝亀六年九月十二日の大暴風雨並文治元年七月九日大地震等の為其間数度社殿の改築あり。室町北朝後圓融院の御宇永和・・・・・・・・・・ |
503-0621 岐阜県海津市海津町外浜字宮西307番地 |
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海津市支部 715 |
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八幡神社
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寶徳元年鎮座。御城内(岩村)八幡宮分社に御座候(慶応四年大円寺村神社由緒委細書上帳にあり)岩村藩神社調によると寶徳元年鎮座とあり、寶徳元年は足利義政将軍の時代である。当時岩村城には遠山氏が地頭として遠山庄を治領していた頃此の地にあった名刹大円寺は、遠山氏の菩提寺で、元亀年間希庵和尚と云ふ名僧がいたの・・・・・・・・・・ |
509-7402 岐阜県恵那市岩村町富田字上野山239番地 |
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恵那市支部 1592 |
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八幡神社
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伝説に依れば宝暦年間の勧請創建にして、粕ヶ原中之切の氏神として遷宮し、今日に及びたる。・・・・・・・・・・ |
503-2402 岐阜県揖斐郡池田町粕ケ原字宮浦964番地の1 |
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揖斐郡支部 3043 |
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八幡神社
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元亀二年創祀。その他由緒記載なし。・・・・・・・・・・ |
509-7321 岐阜県中津川市阿木字飯沼806番地 |
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中津川市支部 2262 |
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八幡神社
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創祀未詳なれども恵那郡八社の内従五位下長窪明神と記され、旧領主遠山家代々の信仰厚く、恵那郡内古社の一なりと云ふ。明治十一年十一月再建。・・・・・・・・・・ |
509-7702 岐阜県恵那市明智町杉野字長久保1067番地 |
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恵那市支部 1633 |
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