|
武並神社
|
詳細
|
承久二年春再興。創建不詳と雖も旧記に依れば承久二年の春新田四郎左ェ門尉源義清其宗子淡路守義綱の再興する処にして其の際鎌倉幕府三将軍の像を相殿に併祭す。其の後永禄七年三月本殿を再建す。爾後星霜を経て社殿大壊す。明暦元年に至り、神林の一樹を伐て官路橋梁の材となす。之に因りて該時領主黄金半鎰を給ふ。増殖の・・・・・・・・・・ |
509-7201 岐阜県恵那市大井町森1101番地 |
|
|
恵那市支部 1563 |
|
若宮八幡神社
|
詳細
|
創祀未詳、寛永2(1625)年の記録あり。
天和2(1682)年9月25日、倉屋神社で始まった式三番叟「翁舞」の奉納に加わって、二社となり、天下泰平・国土安泰・五穀豊穣、悪疫退散を祈願した。現在は倉屋神社・若宮八幡神社・子安神社・水無神社・大山神社の五社で年毎に交代して、秋の大祭として執行されてい・・・・・・・・・・ |
508-0351 岐阜県中津川市付知町字木ノ下7630番地の1 |
|
|
中津川市支部 2250 |
|
八幡神社
|
詳細
|
八幡神社は武芸川町八幡、神の洞に鎮座ましまし、祭神は応仁天皇を祀り、その神域の幽玄にして森厳なるは世間のあまねく知るところである。創建は養老元年(717)で泰澄大師が当地を巡錫の折りにふと大碓命の伝説を聞き「みこと」を祀り八幡神社としていつき奉ったのが発祥である。その後宇多天皇はこの地へ御幸されてこ・・・・・・・・・・ |
501-2603 岐阜県関市武芸川町八幡1712番地 |
|
|
武儀支部 2586 |
|
八幡神社
|
詳細
|
寛文元年九月十五日創祀。明治五年三月二十三日神鏡を京都より奉迎字松源地坂下社へ合祀。明治八年九月十三日元氏子還座の儀を願い出、許可。明治八年九月十三日復祭。
・・・・・・・・・・ |
509-9232 岐阜県中津川市坂下字合郷1494番地 |
|
|
中津川市支部 2297 |
|
武並神社
|
詳細
|
野井の草分の時代分ならずと雖も、本社は万治二年九月巌邑住丹羽勘兵衛創立。又天和三年六月巌邑城主丹羽権兵衛再建とあり。然るに正保二年の野井の地図に戸数僅か十三戸有る中に麗々しく書き入れあるなり。依って万治二年以前に建立ありし事明かなり。是武並社の一にして六個の塚を有して歴代巌邑藩の崇敬最も深く、祭典に・・・・・・・・・・ |
509-7123 岐阜県恵那市三郷町野井砥取1987番地の1 |
|
|
恵那市支部 1557 |
|
八幡神社
|
詳細
|
創立慶安二年十一月五日之を奉建す。元禄二年二月十一日再建。明治六年村社に列す。・・・・・・・・・・ |
507-0055 岐阜県多治見市喜多町8丁目28番地 |
|
|
多治見支部 1917 |
|
八幡神社
|
詳細
|
御名は譽田別尊、仲哀天皇の皇子。御母は神功皇后なり。皇后胚孕の御身を以て韓国を征平し給ひ、班師の時、筑紫の宇美にて天皇を誕生し給ふ。天皇御宇の間文学工芸を興し、皇威内外に輝し給へり。後聖武天皇の御代八幡大神と奉称す。又(斐太後風土記)云無数河久々野両区の村社祭神に久々能智神合祀とあり、この大神は伊邪・・・・・・・・・・ |
509-3205 岐阜県高山市久々野町久々野1336番地 |
|
|
大野支部 2172 |
|
八幡神社
|
詳細
|
文明三年創祀。その他由緒記載なし。・・・・・・・・・・ |
509-7321 岐阜県中津川市阿木字大門前1415番地 |
|
|
中津川市支部 2268 |
|
八幡神社
|
詳細
|
御名は譽田別尊、仲哀天皇の皇子。御母は神功皇后なり。皇后胚孕の御身を以て韓国を征平し給ひ、班師の時、筑紫の宇美にて天皇を誕生し給ふ。天皇御宇の間文学工芸を興し、皇威内外に輝し給へり。後聖武天皇の御代八幡大神と奉称す。当神社勧請年代未詳。寛延元年閏十月再建。古来当区の産土神なり。・・・・・・・・・・ |
509-3214 岐阜県高山市久々野町無数河1442番地 |
|
|
大野支部 2178 |
|
八幡神社
|
詳細
|
和知村役場寺社明細帳に天正年中旧領主稲葉右近殿創立とある如く、稲葉右近とは加茂郡和知村地内野上に小城主として居住せられ、今尚城趾あり。当社守稲葉家は九代目続き神社の傍にありしも明治四十年頃廃家となり、古記録もなし。・・・・・・・・・・ |
505-0305 岐阜県加茂郡八百津町和知3082番地の1 |
|
|
加茂郡支部 390 |
|