八幡神社 (はちまんじんじゃ)
通称     
むげはちまんぐう
武芸八幡宮
主祭神  
      誉田別命(こんだわけのみこと)
摂末社祭神     
地図 map
住所        
〒501-2603 岐阜県関市武芸川町八幡1712番地
由緒由来  
八幡神社は武芸川町八幡、神の洞に鎮座ましまし、祭神は応仁天皇を祀り、その神域の幽玄にして森厳なるは世間のあまねく知るところである。創建は養老元年(717)で泰澄大師が当地を巡錫の折りにふと大碓命の伝説を聞き「みこと」を祀り八幡神社としていつき奉ったのが発祥である。その後宇多天皇はこの地へ御幸されてこの由を聞召され、天皇は別当神宮寺に随臣留め給はったという。観応2年(1651)森又太郎源泰朝は、社殿の再興に力をいたした。本殿、拝殿、五重塔、鐘楼、随神門、寓所、十二坊(不動、清寿、大日、斉昌、宝珠、地徳、延命、普春、成寿、正蔵。大聖、寿教)等輪奐の美と、盛観の程は想像に絶するものがあったと思われる。また、岐阜城の鬼門鎮護の斉神として織田信長は一層篤く信仰し、信孝・信忠歴代もひとしく直筆の制札を出している。これ等は同社に現存している。前述の通り歴代の領主は尊敬し奉り、徳川幕府に至りてもその由緒によって高9石を付せられ武芸谷惣社とせらる。明治元年12月の神仏分離の布令で一山仏堂を除き、本殿、幣殿、拝殿、太鼓楼、抜水舎、随神門、石橋、華表、寓所、末社、社務所、直会殿、神饌殿等で壮観を呈している。明治6年5月15日第八大区七小区拾ケ村の郷社を定められ、郷党の崇敬深く累代に及んでいるのである。かくて大正11年8月更に県社に昇格氏子は大いに感激鳴謝敬神の寔は高まったものである。
祭礼情報  
4月14日〔2日間〕