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八幡神社
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| 天慶五年九月創祀。朱雀天皇天慶五年九月創建にして栗原氏の崇敬厚し。境内に天然記念物の「いちいかし」樹ありて約七百年の樹齢なり。
当社の有する栗原は、4世紀頃から 柴原勝の姓を名乗る一族が支配していました。781年に栗原連を許されて右京にあって朝廷に仕へ以後この地に住み生活をしていました。その栗・・・・・・・・・・ |
| 503-2123 岐阜県不破郡垂井町栗原1868番地 |
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不破郡支部 2568 |

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八幡神社
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| 元和六年創建。大ヶ洞里民今井次良左ェ門忠親の勧請する所なり。同氏は木曽義仲の臣今井兼平長子対馬守貞信の末孫なり。木曽家滅亡の後に貞信宮田村に来住し十代信家三木右京進に仕ふ。天正中十八代信孟に至り、三木家没落して民間に下る。依って竹ノ上に移住し、相続て二十三代忠親に至る。乃ち祖先兼平貞信の守神と崇むる・・・・・・・・・・ |
| 509-2519 岐阜県下呂市萩原町奥田洞86番地 |
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益田支部 322 |

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八幡神社
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| 創祀未詳。里伝に曰く、生駒氏城当村今の古城山に城あり。当社に当たりて鬼門なり。依って鬼門守護のため勧請せしもの也と云ふ。元同村字渡鎮座稲荷神社、同字鎮座秋葉神社同年四月二十五日八幡神社に合祀奉斎す。・・・・・・・・・・ |
| 509-0206 岐阜県可児市土田2906番地 |
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可児支部 583 |

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森越八幡神社
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| 当社元八幡神社と称し、其の創立年月不詳。明治維新村社に列し、同四十二年六月日和田八幡神社へ合併合祀せり。然るに昭和二十二年四月二十四日付を以て神社本庁所属として旧地に再建創立して森越八幡神社と称す。・・・・・・・・・・ |
| 509-3404 岐阜県高山市高根町小日和田字東垣内297番地 |
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大野支部 2201 |

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垂井神社
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| 創祀未詳なれど、日本武命の眼病並足を洗浄され、保養されたと伝へられ、俳聖芭蕉の古句あり。聖武天皇の行幸せられたと伝へらる。・・・・・・・・・・ |
| 503-2100 岐阜県不破郡垂井町1351番地の1の2 |
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不破郡支部 2537 |

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八幡神社
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| 当区吉田甚右衛門の祖建立せしと云ひ、年代詳らかならざると雖も曰わく、当地方は往古山田の荘吉田の郷と称し、其の領地区域は当時吉田村、下津原村、府路村、石原村、神谷村、在原村、歩岐村、及川佐村の一半都合七ヶ村半なり。故に中央の貫流を吉田川と称す。本神社は領主吉田太丸左ェ門尉正邑と云ふ者が領内守護神として・・・・・・・・・・ |
| 501-4203 岐阜県郡上市八幡町初納字洞口1228番地 |
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郡上市支部 1395 |

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八幡神社
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| 創祀未詳。天文年中消失。慶長年中再建。同十六年小野木縫殿助拾地の御神田を上げ、残田高八斗五殊付け来。元禄四年京都に於いて丈七寸五分の神体を彫刻し岩清水八幡宮の分霊を遷し奉り、其の後遠藤但馬守領主の御社田上地造営米・神事入費等領主より下付。然る処、延宝年間祈祷料として当村神田の内より田高八斗五升寄付に・・・・・・・・・・ |
| 501-5103 岐阜県郡上市白鳥町二日町字宮ノ端335番地 |
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郡上市支部 1520 |

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八幡神社
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| 福手兵部少輔生國は出雲の国其の時大乱世にて処々の武士度々戦ひ故に治承二年福手氏産れ國立ち退き代々の氏神八幡宮を供奉して当郡相先村内もと祖手村に城を築き暫く居住し、養和元年当郡西乙原村花庵の城に移り其の時下屋敷を各地に建て然して当社を安置し、承元二年亦当地字中岩山に遷座す。夫れより当地の氏神となせりと・・・・・・・・・・ |
| 501-4103 岐阜県郡上市美並町山田1646番地の1 |
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郡上市支部 1378 |

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八幡神社
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| 創立年紀不詳なりと雖も、延喜式神名帳所載安八郡四座の一、荒方神社。美濃國神名帳所載安八郡十九座の一、従一位荒方明神に充て得らるる著名の古社なりと云ふ。社号も亦荒方八幡宮と称す。当社古額面に八幡宮其の肩書に荒肩神社とあり。鎌倉時代の古物なる事鑑定せらる。亦天保三年四月、同五年の棟札に荒方八幡神社と記し・・・・・・・・・・ |
| 503-0102 岐阜県大垣市墨俣町墨俣1番地 |
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安八郡支部 4 |

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八幡神社
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| 天正五年八月創立。その他縁由不詳。・・・・・・・・・・ |
| 501-0431 岐阜県本巣郡北方町北方字大門1349番地 |
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本巣郡支部 2772 |

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