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八幡神社
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元郷社應神天皇を祀る延長8年石清水八幡宮を勸請し、康平6年源義家本社及び末社を再建したと伝えられる。鎮座地は石清水八幡宮御願塔院領として有名な明智荘で既に承暦2年12月の文書にその名が見える、本社はかかる関係から勸請奉祀せられた古社である、後長祿3年に斎藤利永入道妙椿は社殿を修造営したと伝えられてい・・・・・・・・・・ |
505-0122 岐阜県可児郡御嵩町顔戸1172番地の1 |
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可児支部 561 |

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八幡神社
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創立年月は不詳なるも奥村家蒼祖の建立にして、文化三年以来氏子の総意により、社殿の改築をなし、殊に境内には近郷希に見る老樹ありて、神域の尊厳を保ち崇敬厚し。・・・・・・・・・・ |
501-6121 岐阜県岐阜市柳津町上佐波1丁目41番地 |
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羽島支部 195 |

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六社神社
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創立天正9年辛巳年12月15日とあれども恐らく往古より此の真福寺部落の各所に奉斎ありし六ヶ所の神社を現在の一社に合祀せし時が天正9年にして社名も六社と称しならむ。天正九年辛巳年12月15日當村住人中村一輔創立寛永18辛巳年8月再営、享保19年寅年8月再営、寳暦9己卯年6月修理、文化13丙子年4月再営・・・・・・・・・・ |
502-0081 岐阜県岐阜市長良真福寺字六本松3146番 |
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岐阜市支部 1184 |

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八幡神社
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元和八年九月創祀。八幡神社、村内古老の口碑に元和八年九月創立と云ふ。その他縁由沿革不詳。若宮八幡神社村内古老の口碑に承応二年九月創立と云ふ。その他縁由沿革など不詳。・・・・・・・・・・ |
501-3957 岐阜県関市側島字東島675.676.677番地 |
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関市支部 918 |

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八幡神社
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創祀不詳。由縁不詳。昭和二十五年六月山添、文殊村を本巣村と改称合村。・・・・・・・・・・ |
501-1203 岐阜県本巣市文殊西ノ門1134・1207番地 |
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本巣郡支部 2823 |

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八幡神社
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創祀未詳なれども、御輿の内に弘安五年五月、本願比久尼蓮意趣者先年子息甚太郎当病平癒立願也と記す。亦延文元年十一月三日再興、願主沙弥道円と記せり。濃陽志略に八幡祠放生寺之を掌る。天正自由三年二月二十日図録古記焼失と記せり。実にこの時古記焼失しけん。幸いに御輿は社内にあらざるを以て火災を免れたるものなる・・・・・・・・・・ |
509-0224 岐阜県可児市久々利1017番地 |
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可児支部 602 |

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八幡神社
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元和六年創建。大ヶ洞里民今井次良左ェ門忠親の勧請する所なり。同氏は木曽義仲の臣今井兼平長子対馬守貞信の末孫なり。木曽家滅亡の後に貞信宮田村に来住し十代信家三木右京進に仕ふ。天正中十八代信孟に至り、三木家没落して民間に下る。依って竹ノ上に移住し、相続て二十三代忠親に至る。乃ち祖先兼平貞信の守神と崇むる・・・・・・・・・・ |
509-2519 岐阜県下呂市萩原町奥田洞86番地 |
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益田支部 322 |

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八幡神社
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創立年紀不詳なりと雖も、延喜式神名帳所載安八郡四座の一、荒方神社。美濃國神名帳所載安八郡十九座の一、従一位荒方明神に充て得らるる著名の古社なりと云ふ。社号も亦荒方八幡宮と称す。当社古額面に八幡宮其の肩書に荒肩神社とあり。鎌倉時代の古物なる事鑑定せらる。亦天保三年四月、同五年の棟札に荒方八幡神社と記し・・・・・・・・・・ |
503-0102 岐阜県大垣市墨俣町墨俣1番地 |
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安八郡支部 4 |

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八幡神社
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寛永十四年本殿と共に古書類焼失し、創立年月日不詳。縁由不詳。口碑によれば本殿焼失前殊に神威厳烈大門通行の諸人皆下馬せりと云ふ。偶々乗馬通行する時は落馬する者多く、為に後代神威を汚すを畏れ、大門を現状に短縮せりと云々。本殿は寛永十四年焼失直後直ちに仮殿を造営安置し奉り更に万治三年本殿を造営し、次て享和・・・・・・・・・・ |
501-0234 岐阜県瑞穂市牛牧字宮下166番地の1 |
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本巣郡支部 2694 |

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八幡神社
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創祀未詳。天文年中消失。慶長年中再建。同十六年小野木縫殿助拾地の御神田を上げ、残田高八斗五殊付け来。元禄四年京都に於いて丈七寸五分の神体を彫刻し岩清水八幡宮の分霊を遷し奉り、其の後遠藤但馬守領主の御社田上地造営米・神事入費等領主より下付。然る処、延宝年間祈祷料として当村神田の内より田高八斗五升寄付に・・・・・・・・・・ |
501-5103 岐阜県郡上市白鳥町二日町字宮ノ端335番地 |
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郡上市支部 1520 |

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