八幡神社 (はちまんじんじゃ)
通称     
主祭神  
      応神天皇(おうじんてんのう)
摂末社祭神     
      御嶽神社
      北野神社
      稲荷神社
      水神社
地図 map
住所        
〒505-0122 岐阜県可児郡御嵩町顔戸1172番地の1
由緒由来  
元郷社應神天皇を祀る延長8年石清水八幡宮を勸請し、康平6年源義家本社及び末社を再建したと伝えられる。鎮座地は石清水八幡宮御願塔院領として有名な明智荘で既に承暦2年12月の文書にその名が見える、本社はかかる関係から勸請奉祀せられた古社である、後長祿3年に斎藤利永入道妙椿は社殿を修造営したと伝えられている。例祭日は10月10日 源義家(八幡太郎義家1041-1108)元禄七年旧記に曰く、延長八年石清水八幡宮を此の地に遷して創建す。造営の奉行は大庭某と云ふ者居住せし所を今も大庭と云ふ。又創建作事場を新木野と称し、今に其の字存せり。社領として明知庄八村凡そ三千五百石を寄付せらる。(八村とは、渕之上、平貝戸、朝戸、石森、石井、瀬田、柿田、古屋敷なり。)此の八村の人民は総て氏子なりと云ふ。康平論年源義家奥州征伐の後、本社末社を再営す。其の末社は実に四十宇を数へしと云ふ。長禄三年齊藤利永本社上葺及び修営寄進す。永禄八年四月上葺あり。往古は大社にて、八町程南に一の鳥居、二の鳥居は今の大門通り中仙道端にあり、三の鳥居は現在のものなり。新撰美濃誌によれば、八幡社は昔此の庄(明知)は石清水の知行なりし故、勧請せしと云ふ。依って以来石清水領なりしを恵観寺之を掌り、石清水領及び朝戸八幡領の両所に宛之を知行せしよしに聞こえ(恵観寺は八幡社の社僧院なり)。「宝物」 「古額一面」源義家手づから男山石清水八幡宮の額を写して自彫刻し寄付せるもの。
祭礼情報  
10月中旬