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天ケ峯稲荷神社
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詳細
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当社の鎮座されます天が峯は、皇祖第十二代景行天皇が美濃の地へ行幸された折、ここに足をおとめになり、住民の情況や四方の風景をご覧になったとの伝説と由緒ある。一段高い風光明媚な景勝地であります。この地は今を去ること六百数十年の昔、後醍醐天皇の元亨年間日野資朝郷が勅命を奉じて山伏姿で東国に向かわれる途中、・・・・・・・・・・ |
509-0222 岐阜県可児市羽崎3077番地の2 |
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可児支部 598 |
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勝速神社
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詳細
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当社創建年月日は不詳なりと雖も、神威赫々著明なることは昔より社伝或いは人口に残て太々釈然たること之往昔当村は当國の國村都会にして繁盛の地なりしと云々。(但した昔は別府を鼈浮とも書きしことあり。然らば、鼈浮し音別府を倣りしにや。其先後未だ詳ならず。和名抄当國当郷の地名に遠市、安堵、美濃、穂積と連続せし・・・・・・・・・・ |
501-0222 岐阜県瑞穂市別府字堤内参ノ町501番地の1 |
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本巣郡支部 2675 |
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県神社
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創立年暦不詳。延宝四年十二月十六日再建とあり。明治六年一月村社に列す。・・・・・・・・・・ |
507-0057 岐阜県多治見市赤坂町1丁目57番地 |
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多治見支部 1918 |
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今渡神社
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詳細
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昭和三年一月十三日今渡区村社住吉神社、同八幡神社無格社神明神社の三社を合祀し、今渡神社と改称す。現在の地に新築、同年八月十一日遷座。・・・・・・・・・・ |
509-0207 岐阜県可児市今渡1541番地の1 |
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可児支部 589 |
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薮田神社
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詳細
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美濃國神名帳に曰く、厚見郡坐正六位上藪田明神是なり。新撰美濃誌藪田神社は当村にありと云へり。里伝に云ふ、当村は古へ自村にては明神と称し、隣村にては藪田明神と称せしを、祭神稲荷神なれば今を距る約百年前、安永年の頃より稲荷神社とのみ称すと云ふ。按ずるに、陽夫は八百穂なり。然るは藪田とは八百穂田の約言、八・・・・・・・・・・ |
500-8384 岐阜県岐阜市薮田南1丁目9番1号 |
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岐阜市支部 1003 |
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大森神社
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詳細
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当社は、大森城(城主、奥村又八郎)のあった位置から、約50米下方に鎮座し、城主が鬼門除けの護神として崇拝していたと推察されている。御祭神は、建速須佐之男命・豊受毘売神・大雷神・応神天皇・神功皇后・ヒメカミ・宇迦之御魂神・天照皇大神・火産霊神を奉斎し、古くは牛頭天王社と呼ばれていたようだが、明治元年か・・・・・・・・・・ |
509-0238 岐阜県可児市大森字宮前2118番地 |
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可児支部 613 |
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多岐神社
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和銅年間創祀。延喜式神名帳に載せられたる古神社なり。当國神名帳にも従四位下多岐明神とて本郡十六社の内に入れられたり。里老の伝説に、元明天皇の和銅五年の鎮座にして山城國紀伊郡稲荷神社と同神なりと云へり。国史を按ずるに、是より先和銅四年二月山城國紀伊郡飯盛山に始めて稲荷神社を建給ひしこと見えたれば、その・・・・・・・・・・ |
503-1312 岐阜県養老郡養老町三神町406番地の1 |
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養老上石津支部 3157 |
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陣屋稲荷神社
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慶長年間金森国司侯、宮川の西に下屋敷及び蔵屋敷を構へ(今の陣屋跡)邸内特に蓄穀倉の鎮護として当神社を奉祀され、元禄五年以後当国は幕府直轄となり、此の地に代官所(陣屋)を置き、当神社も以来其の所管に移り、宝暦四年十月時の代官柴村盛喬更に稲荷分霊を合請し、安永三年二月郡内大泉正統社殿を再建す。代々陣内鎮・・・・・・・・・・ |
506-0012 岐阜県高山市八軒町3丁目4番地 |
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高山市支部 1680 |
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神明神社
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詳細
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当社縁起維新の際散逸、草創は明らかではない。源平の頃義仲勧進する処なりと言ひ、義仲の時代を遡ると考へられる。大永6年遠山氏植苗木より今の苗木城を築き移転以前、飯田城主小笠原定基の領地。既に社殿あり、代官高柴伯耆守景長奉行再建とあり。当時は熊野神社と言われていた。遠山氏居城を苗木に築いてよりは、鎮守と・・・・・・・・・・ |
508-0101 岐阜県中津川市苗木字日比野1112番地の1 |
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中津川市支部 2228 |
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堂殿神社
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詳細
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創祀不詳。往昔椋椅某故有りて来り、此の地を開墾し、其の祖神(神名未詳)を勧請し、崇敬あり。後終に村名を「くらはし」と唱ふるとなり。故に椋椅某より数代居住する内其の社の傍らに甚大なる寺堂の如きものを造立し、武芸を稽古す。其の後村呼びて堂殿と称す。後又丸山の頂上に城を築き、子孫之に居住す。此の時に当たり・・・・・・・・・・ |
506-1314 岐阜県高山市上宝町藏柱2785番地 |
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吉城郡支部 1282 |
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