|
笠置神社
|
詳細
|
寛和二年創祀。昔時中野方村の中仙道たりし頃、花山院仏道に帰入ましまして、東国を廻り給ふ際、茲に玉杖を休め給ふに、南なる高岳の岩焼として雲に聳へたるは宛然として都の笠置に彷彿たりと叡覧ありし即ち、山の名を笠置と号け其の頂に一社を設くべく宣ひ、「眺免御、笠置の山と号けしは、是も望みおく、しるしなりけり」・・・・・・・・・・ |
509-8231 岐阜県恵那市中野方町2676番地の1 |
|
|
恵那市支部 1667 |
|
田原神社
|
詳細
|
寛文十二年二月創祀。当社は元八幡神社と称せり。時惟寛文十二癸丑年二月吉日。奉建立八幡大神社一宇 本願人 一村伝藏 田口三九郎 治りて御世静かなり風の音 穂積裔卒弘布 謹白 大工 富山村六右ェ門 寛政八丙辰年十一月十五日 奉再興八幡宮拝殿 一宇 神主 堀田仙太夫 名主林惣兵衛 組頭 両助 彦右ェ門 勘・・・・・・・・・・ |
509-8301 岐阜県中津川市蛭川字田原5068番地の1 |
|
|
中津川市支部 2284 |
|
鍬山神社
|
詳細
|
創立未詳。往古より此処に御鍬之大神、天照大神を奉斎の由。何れの頃か年月しれず、字小松山に遷すと云ふ。明治二年元社地字森畔へ復座す。従前本村室原村佐森神社に由緒之有りに付き、明治五年分霊譽田別之神を奉迎して之を合祀し、三座とす。同年一棟三扉之神明造りに再建して苗木藩へ願い済み之上新たに神鏡を神眞として・・・・・・・・・・ |
509-1222 岐阜県加茂郡白川町下佐見2174番地の1 |
|
|
加茂郡支部 518 |
|
内理神社
|
詳細
|
寛文十一年創祀。奉謹請金峯社安閑天皇所願成就氏子繁昌息災延命修宇時寛文十一年蝋月吉辰とあり。一丘上に森を成して前面には田畑開け一色、一之瀬両区の崇敬社なり。此の付近に内裏屋敷と云ふ所あり。信濃宮(宗良親王)の帯宿所なりしが、永享年間尹良親王に従って英良親王来駕せられ、此処に教養せられしと謂ふ。信濃宮・・・・・・・・・・ |
509-8301 岐阜県中津川市蛭川字下一色4259番地の1 |
|
|
中津川市支部 2283 |
|
八幡神社
|
詳細
|
この地域は狩り宿というが、江戸期には遠山美濃守の御狩り場であった。近くには矢場もあり弓道の練習場がある。武神を祀り敬神崇祖の念が篤かった遠山氏は、この地に八幡の大神を祀らせ武道に励み、武運長久を祈った。
かなり古い石の狛犬があるが年代は不詳である。・・・・・・・・・・ |
508-0101 岐阜県中津川市苗木字狩宿4391番地 |
|
|
中津川市支部 2231 |
|
八幡神社
|
詳細
|
本社の創設は詳ならずといえども古老の言に聞き境内老木に依りて案ずるに4・5百年以前の創設にあらずやと推定する。棟札の保存宣ろしきを得ざる為失ひたるものありといえども保存せるものの銘に日く寛文2年再建とありて寛文初年には巳に古社たるを証するに足る由来八幡宮は武人の敬仰する処にして、城下唯一の八幡宮なる・・・・・・・・・・ |
508-0101 岐阜県中津川市苗木字八幡421番地 |
|
|
中津川市支部 2227 |
|
八幡神社
|
詳細
|
創祀未詳と雖も元禄八年八月再建。享保十二年再建。・・・・・・・・・・ |
509-7603 岐阜県恵那市山岡町上手向2666.2664番地 |
|
|
恵那市支部 1627 |
|
八幡神社
|
詳細
|
寛文二年十二月創祀。・・・・・・・・・・ |
509-7601 岐阜県恵那市山岡町久保原114番地 |
|
|
恵那市支部 1615 |
|