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天ケ峯稲荷神社
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当社の鎮座されます天が峯は、皇祖第十二代景行天皇が美濃の地へ行幸された折、ここに足をおとめになり、住民の情況や四方の風景をご覧になったとの伝説と由緒ある。一段高い風光明媚な景勝地であります。この地は今を去ること六百数十年の昔、後醍醐天皇の元亨年間日野資朝郷が勅命を奉じて山伏姿で東国に向かわれる途中、・・・・・・・・・・ |
509-0222 岐阜県可児市羽崎3077番地の2 |
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可児支部 598 |
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大森神社
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当社は、大森城(城主、奥村又八郎)のあった位置から、約50米下方に鎮座し、城主が鬼門除けの護神として崇拝していたと推察されている。御祭神は、建速須佐之男命・豊受毘売神・大雷神・応神天皇・神功皇后・ヒメカミ・宇迦之御魂神・天照皇大神・火産霊神を奉斎し、古くは牛頭天王社と呼ばれていたようだが、明治元年か・・・・・・・・・・ |
509-0238 岐阜県可児市大森字宮前2118番地 |
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可児支部 613 |
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陣屋稲荷神社
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慶長年間金森国司侯、宮川の西に下屋敷及び蔵屋敷を構へ(今の陣屋跡)邸内特に蓄穀倉の鎮護として当神社を奉祀され、元禄五年以後当国は幕府直轄となり、此の地に代官所(陣屋)を置き、当神社も以来其の所管に移り、宝暦四年十月時の代官柴村盛喬更に稲荷分霊を合請し、安永三年二月郡内大泉正統社殿を再建す。代々陣内鎮・・・・・・・・・・ |
506-0012 岐阜県高山市八軒町3丁目4番地 |
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高山市支部 1680 |
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八剱八幡神社
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当社は、可児市久々利集落北方の山腹に鎮座し、天慶の頃より、天暦・天徳の頃までに成立したとされている「国内神名帳」にある、正六位沢雁明神であると推定されている。明治5年久々利・羽崎・大森・柿下・小名田五ヶ村の郷社となる。御祭神は、応神天皇・崇神天皇を奉斎し、明治43年に天照大御神・豊受大神・須佐之男命・・・・・・・・・・ |
509-0224 岐阜県可児市久々利347番地 |
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可児支部 607 |
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旭稲荷神社
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明治三十二年創祀。大垣市旭廊の花柳界の発展と共に、ここに働く婦女子の崇敬の的となり、遂には崇敬の念は付近住民に及び、昭和三十三年の法律により旭廊は昔日の隆盛を失いたるも崇敬者は付近町民が頓に激増し、今日に至る。・・・・・・・・・・ |
503-0893 岐阜県大垣市藤江町5丁目78番地の2 |
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大垣市支部 2011 |
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栗原神社
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創立年代は不詳。清和天皇貞観9年10月神階従五位、延喜式式内当国八社の一。往古「白山権現」といったことがある。古老の口伝によると、往古当神社の東方「沖巾」と称する所に栗の木が繁栄した。その中の大木には良く実がついたので里人は神木として尊んだ。毎年5月24日には、里人等が集まり、木の実の豊作を祈りなが・・・・・・・・・・ |
506-1304 岐阜県高山市上宝町宮原350番地 |
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吉城郡支部 1271 |
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笹山神社
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創祀未詳。往昔農、蚕業繁栄の為奉祀せしと伝ふ。此の十二ヶ岳ノ山脈は折敷地、大萱、瓜田の三部落に跨り、山中の渓澗十二所あるを以て岳の名に負ひたり。里説に伊予國笹山の神を勧請せしと伝ふ。年代不詳。・・・・・・・・・・ |
506-2103 岐阜県高山市丹生川町折敷地字十二ケ岳3439番地 |
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大野支部 2133 |
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六所神社
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詳細
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創祀未詳なれども、里説に曰く、該地白山権現の在しに村内散在せし五社を合祀して新宮六所の社号とす。五社の旧地と称する所今尚指呼に存せり。稲荷社、山神社、地神、女体社、沢神。以上なり。白山社鎮座及び五社合祀年暦未詳。天文六年本社再興の棟札現存す。新宮六所大明神宝殿と記載之有り。村内旧名中呂村と云ふ。明治・・・・・・・・・・ |
509-2514 岐阜県下呂市萩原町中呂954番地 |
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益田支部 319 |
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稲荷神社
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詳細
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創祀未詳。由緒記載なし。例祭日九月二十二日。・・・・・・・・・・ |
509-4104 岐阜県高山市国府町今709番地 |
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吉城郡支部 1290 |
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矢場稲荷神社
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詳細
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創立年月日及由緒は不詳なるも、古来加納五稲荷の一に数へられ、神威高く、加納藩よりも篤く崇敬せられてゐた。・・・・・・・・・・ |
500-8273 岐阜県岐阜市加納矢場町1丁目49番地 |
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岐阜市支部 974 |
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