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白山神社
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養老二年僧泰澄越の白山登山の砌当大字に暫く逗留あり。折から悪病流行に付き、右病難消除のため当大字小字正ヶ洞白山神社を勧請したりと云ふ。嘉永五年当大字五郎左衛門と云ふ者後刻成就のため当大字字森に山城国稲荷神社を勧請創設したりと云ふ。大正六年十二月四日右二社を当字に移転合併したり。・・・・・・・・・・ |
501-5101 岐阜県郡上市白鳥町前谷字島反別319番地の2 |
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郡上市支部 1518 |
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堂殿神社
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創祀不詳。往昔椋椅某故有りて来り、此の地を開墾し、其の祖神(神名未詳)を勧請し、崇敬あり。後終に村名を「くらはし」と唱ふるとなり。故に椋椅某より数代居住する内其の社の傍らに甚大なる寺堂の如きものを造立し、武芸を稽古す。其の後村呼びて堂殿と称す。後又丸山の頂上に城を築き、子孫之に居住す。此の時に当たり・・・・・・・・・・ |
506-1314 岐阜県高山市上宝町藏柱2785番地 |
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吉城郡支部 1282 |
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大八賀神社
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詳細
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創祀未詳なるも、当郷開発の國津神を祀りありしも、中世以後戦乱のため荒廃せしを天正十三年金森侯父子鍋山在城の際、加賀國白山大神を勧請せしと伝ふ。住吉大神は境外神社なりしが、近世合祀したるものなりと伝ふ。社名は明治四十二年二月白山神社を現在の如く大八賀神社と改称せしものなり。・・・・・・・・・・ |
506-0802 岐阜県高山市松之木町109番地の2 |
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高山市支部 1699 |
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水無神社
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詳細
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創祀不詳。里伝によれば、大野郡宮村の産人桐ノ小林三郎左エ門なるもの此の地に移り来たって開拓し、追々一村を開いたのが当地の開祖となると云ふ。宮村の水無神の御分霊を爰に移し祭り産土神と奉敬。後氏子多数となって当社を再建敬神怠りなく奉仕す。明治四十年七月二ツ屋反甫村社熊野神社、字松木平無格社大山祇神社を合・・・・・・・・・・ |
506-1216 岐阜県飛騨市神岡町東漆山192番地の1 |
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吉城郡支部 1267 |
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荘川神社
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創立不詳。元白山神社と称し、中畑、新渕、両村の産土神也。宝永元年再建し、その後新渕村に於いて冨士浅間を勧請し、櫻宮と転称し、産土神とするに依り、文化三年三月中畑村に面して移転再建し、明治維新村社に列す。同十一年拝殿改築、同四十三年二月十五日猿丸白山神社、町屋八幡神社、新渕櫻宮神社、牧戸神明神社、牛丸・・・・・・・・・・ |
501-5412 岐阜県高山市荘川町中畑字宮ノ上615番地 |
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大野支部 2105 |
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十二社神社
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寛文年代の創祀。寛文年代肥後熊本より御神体を迎え、宝永七年八月之を再建す。・・・・・・・・・・ |
509-7205 岐阜県恵那市長島町中野字大隈前108番地の2 |
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恵那市支部 1577 |
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牧ケ洞神社
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詳細
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創祀未詳なれども、里伝に曰く、寿永年間平正盛当地に来りて一廓を構へ牛首城と云ふ。其の臣加賀國石川郡河内の人山田義兼本居の神をここに勧請せしに之に倣ひて同僚の諸氏各自本居の神を所々に奉祀したるを永享年間白山社に合祀せしと云ふ。斐太後風土記に明治六年当時牧ヶ洞には字徳野の宝田社、牛首社、宮が端社、出合社・・・・・・・・・・ |
506-0101 岐阜県高山市清見町牧ヶ洞字洞口2960番地 |
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大野支部 2120 |
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野々宮神社
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平清盛時代の起源と推測されるが往時の古記録散逸し、今日明確にわかる古文書によれば第百代後小松天皇の応永8辛巳年(紀元2061)将軍足利義満時代に始まり、当初江吉良島神社と申上げて居り今から約600年程前である。・・・・・・・・・・ |
501-6236 岐阜県羽島市江吉良町379番地 |
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羽島支部 241 |
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深田神社
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詳細
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明治四十年十月十九日岐阜県の許可を得て、津島神社、八幡神社、大明神社、天神神社、日枝神社、神明社葛屋社の七社を合祀し、深田神社と改称す。・・・・・・・・・・ |
505-0043 岐阜県美濃加茂市深田町1丁目6番地16号 |
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美濃加茂市支部 2442 |
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桂本神社
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詳細
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創立年代は不詳。里伝に湯津香木(桂木)を神籬として、火遠理大神、豊玉姫大神を奉斎して香木の本みに鎮座し、「高田神社」と称したと云
う。昔は高田神社と言い、祭神火遠理命、豊玉姫命を奉斎した。承久3年江馬小四郎輝経が高原郷を領し領主となり、本社を崇敬し 過信河上次郎太夫を神官に任じ、貞応年間、一族の繁・・・・・・・・・・ |
506-1313 岐阜県高山市上宝町在家736番地 |
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吉城郡支部 1279 |
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