
|
度瀬神社
|
詳細
|
高堂城主広瀬氏、飛騨国司姉小路宰?入道等の信仰がはなはだ厚かったと言われている。通称「こうの家」又は「国府宮」などとも言われ近郷近在の崇敬厚い神社である。戸田采女正の元禄検地に加茂大明神宮地として一反三畝二十四歩の除地を附された神社には境内中央に横穴式古墳が一基あるが、未発掘である。又正面二百メート・・・・・・・・・・ |
509-4119 岐阜県高山市国府町広瀬町2683番地 |
 |
|
吉城郡支部 1303 |

|
冬頭神社
|
詳細
|
創祀未詳。明治三十六年八月諏訪神社に村社貴布禰神社合祀冬頭神社と改む。・・・・・・・・・・ |
506-0001 岐阜県高山市冬頭町1670番地の1 |
 |
|
高山市支部 1675 |

|
二之宮神社
|
詳細
|
創祀未詳なるも、孝徳天皇御宇大八椅命の後裔たる國造が天照國照彦火明命(國造ノ祖神)大八椅命(斐陀國造ノ祖)譽田別神(応神天皇)の三柱の神を祀りしに始まり(明細帳)御神像も一千余年以前の作なりと云ふ。明治四十二年八月二十一日区内荒神社(大山祇神)を合併合祀す。古来当國二ノ宮と称す。(眞野時縄神階編、斐・・・・・・・・・・ |
506-0812 岐阜県高山市漆垣内町963番地 |
 |
|
高山市支部 1703 |

|
平湯神社
|
詳細
|
古老の口碑に創立年月は不詳。往昔今神明神社にて現在地に有り。明治四十一年に岐阜県吉城郡上宝村大字福地146番地の1の村上神社に現在の上宝第二小学校校下の各地区の氏神様を全部村上神社に合祀され、その時平湯区よりも神明神社、山神神社、高上神社の三社が合祀され、其の後平湯区民も昭和二十一年迄は村上神社の氏・・・・・・・・・・ |
506-1433 岐阜県高山市奥飛騨温泉郷平湯24番地の1 |
 |
|
吉城郡支部 1286 |

|
諏訪神社
|
詳細
|
創祀未詳なりと雖も、里説に当地開墾に当たり七兵衛といふ者、諏訪大神は農業、殊に蚕業を司り給ふ大神なりと聞き、里人数人相はかり、此の大神を奉斎すべく信濃の国諏訪郡中州村諏訪町に鎮座の神社並びに下諏訪に鎮座の下社の御分霊を勧請し来り、当地の地主神として斎奉る。極めて古き御社にて、其の後貴顕紳士の崇敬篤か・・・・・・・・・・ |
506-0041 岐阜県高山市下切町2136番地 |
 |
|
高山市支部 1688 |

|
八幡神社
|
詳細
|
御名は譽田別尊、仲哀天皇の皇子。御母は神功皇后なり。皇后胚孕の御身を以て韓国を征平し給ひ、班師の時、筑紫の宇美にて天皇を誕生し給ふ。天皇御宇の間文学工芸を興し、皇威内外に輝し給へり。後聖武天皇の御代八幡大神と奉称す。又(斐太後風土記)云無数河久々野両区の村社祭神に久々能智神合祀とあり、この大神は伊邪・・・・・・・・・・ |
509-3205 岐阜県高山市久々野町久々野1336番地 |
 |
|
大野支部 2172 |

|
広瀬神社
|
詳細
|
往古の社殿はその興廃は詳らかでないが、応永十八年九月、飛騨国司姉小路宰相人道尹綱、足利将軍に攻め滅ぼされたとき、社殿、僧院共兵火にかかって焼亡したことは「菩提院縁起」によって明らかである。後領主広瀬氏により再興されたが、その年月は不詳である。永正十七年八月、広瀬城主左近大夫将監利治が再建した棟札があ・・・・・・・・・・ |
509-4119 岐阜県高山市国府町広瀬町2604番地 |
 |
|
吉城郡支部 1302 |

|
瓜巣神社
|
詳細
|
|
509-4126 岐阜県高山市国府町瓜巣2927番地 |
 |
|
吉城郡支部 1309 |

|
白峯神社
|
詳細
|
創祀未詳なれども、社伝に云ふ、上代土地開拓の始めに当たり郷中東方の大獄現今の乗鞍岳の高嶺の威容を崇敬して、其の山霊を合祀せり。是即ち白峰神社の創始なり。按ずるに現今の乗鞍岳の名称は遠く望めば銀鞍を雲上に置きたる如き山容なるも、麓より仰げば唯重畳たる山岳のみにして其の高峯は四時皚々たるものにして其の儘・・・・・・・・・・ |
506-2254 岐阜県高山市丹生川町岩井谷字わらび野454番地 |
 |
|
大野支部 2162 |

|
神明神社
|
詳細
|
白河帝の正保年中頃創祀か。順徳帝建暦年間再興。神明山天照寺は(維新の際恐れあるを以て照の一字を性と改めたり)旧名般若院と云て修験者の住し跡なる可し。何時頃に廃しけん。知る能はず。三木久綱が護りし高山外記が旧城塁を修復し、居城と定め、鎮守祈願所と尊院せられしを社殿の絵馬に高山城より敬白とあり。即ち領主・・・・・・・・・・ |
506-0832 岐阜県高山市天性寺町71番地 |
 |
|
高山市支部 1724 |

|