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高賀神社
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養老二年一月創祀。本神社創立は霊亀年中にして後に高賀山中に光り者住み、帝都に往来せしにより、養老元年討伐の勅使藤原高光参向、妖魔を退治し、山の下に神祠を建つ。又延長年中当山に妖魔住み、國の人民を脳害せり。再度藤原高光に勅して之を退治せしめ給ふ。天慶二年本社再建ありて、現在に至る。明治三年八月高賀山大・・・・・・・・・・ |
501-2806 岐阜県関市洞戸高賀字宮下1217番地 |
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武儀支部 2606 |
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根道神社
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旧明神。明治九年十一月根道社と改称。明治四十二年一月字中村下タ「島下神社」(祭神不詳)宇荒須「雷神神社」字ガキガノド「白山神社」字岩村寺南「山神神社」字下根「金山彦神社」を合併する。・・・・・・・・・・ |
501-2901 岐阜県関市板取448番地 |
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武儀支部 2623 |
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貴船神社
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創祀未詳。旧号「八龍大菩薩」明治三年十二月神仏分離により、改号し「貴船神社」とす。口碑に曰く、天平十八年六月勧請すとあり。当社は本村之古社にして支村に桐山(今の桐谷)の地名あり。この地南各務郡に界し、西尾張より飛騨街道にして、線路桐山を経て当社の前を過ぎ、本村の東並びに出る里俗呼してこの街道を桐谷路・・・・・・・・・・ |
501-3876 岐阜県関市貴船町20番地 |
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関市支部 886 |
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須原神社
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明澄十八年十月創祀。慶長十八年春白山比□羊神を安部組字に祀る。・・・・・・・・・・ |
501-2807 岐阜県関市洞戸阿部根場土1680番地 |
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武儀支部 2607 |
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伊岐神社
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詳細
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寛文二十年六月奉伊岐大明神鎮座造立。文化六年五月瑞垣造立。天保二年十一月社殿修復。文久二年八月社殿再造立。明治三十三年神籬修繕。大正十五年四月石鳥居造立。昭和二年一月社務所建立。昭和六年四月石神籬改造。明治6年旧社格郷社に列し、昭和36年十月吉日金幣社に昇格、近在近郷の崇敬を得て今日に至る。
「甘・・・・・・・・・・ |
501-3911 岐阜県関市肥田瀬1263番地の1 |
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関市支部 888 |
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十五社神社
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創立年月不詳。三社並立中座を十五社と称し男神とす。左を八幡と称し、女神となす。右を春日と称し男神とす。三神社の称号詳かならず。里傳に此の社往古祭日九月十五日と云ふ。故里俗に十五日社と云習ひて正社号を失せりとも云ふ。昭和二十七年一月十六日左記神社を合併す。小金田村山内750の2八幡神社、同865の2南・・・・・・・・・・ |
501-3944 岐阜県関市山田400番地 |
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関市支部 909 |
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大跡部神社
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創祀未詳なれども、口碑によれば、武烈天皇の皇子大迹皇子、都を遁れ出させ給ひて此の地に行啓隠れ給ひしに多年ならずして崩御ましまし、其の神霊を十善神大権現と尊称し奉祀したりと云ふ。之を明治六年社寺取調の際大跡部神社と改称して村社となる。尚此の神社の裏一円を御輿山と称し、里伝によれば、山頂には大跡部皇子の・・・・・・・・・・ |
501-2605 岐阜県関市武芸川町跡部1703番地 |
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武儀支部 2592 |
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盥神社
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里伝によると第59代宇多天皇(法皇)は野村(後に宇多院村とした)の阿弥陀寺に行幸された。武芸八幡宮、美濃市大矢田の喪山神社、可児市の恵観寺などにも巡幸されたが、その折、不幸にも病に倒れられたため、ここに葬った。そこを「定着の御陵」といい盥神社(たらいじんじゃ)としてお奉りしている。
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501-2607 岐阜県関市武芸川町宇多院1318番地 |
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武儀支部 2597 |
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新宮神社
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詳細
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創祀未詳。再建貞享三年六月晦日。本村鎮座組字杉原神山之辺呼杉洞在地名案ずるに本国神名帳異本所載正五位下杉洞天神は蓋し当社か。改称明治二十九年下半期新宮神社と改称す。・・・・・・・・・・ |
501-2901 岐阜県関市板取字八ッ保4609番地の1 |
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武儀支部 2619 |
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八幡神社
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八幡神社は創建年未だ詳かならず、寛正三年修復せられしより百五十年天正六年三月足立與三右衛門再興す。先年は本村字庄内に鎮座す。氏神地一反五畝歩御除地とありし現今の字井田615番地二反十六歩の地なり。延宝二年今の地松尾一番地に遷座す。明治六年一月郷社に定めらる。若宮神社祭神息長帯姫命、八幡神社の祭神譽田・・・・・・・・・・ |
501-3265 岐阜県関市小瀬1番地の1 |
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関市支部 876 |
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