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八剱神社
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人皇第12代景行天皇の皇子日本武尊が伊吹山賊を御征討の際その御通路であった里人が後世尊の御雄姿を景迎して奉斎したもので年紀は不詳だが天正9年竹ケ鼻城主 不破源六郎友綱が村内字須賀の元宮から現地へ遷祀したと伝えられ明治6年竹ケ鼻,本郷,平方,浅平,間島,足近新田の郷社に列した。社殿の建築は飛騨匠、武田・・・・・・・・・・ |
501-6241 岐阜県羽島市竹鼻町3298番地の1 |
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羽島支部 244 |

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巖島神社
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当社は天正三年竹ヶ鼻城主不破源六の臣柴田勝久近江國長浜城より転封し来たり、竹生島神社の祭神を奉斎分祀し、城域の守護とした。勝久は館を狐穴村に構へ天正十一年竹ヶ鼻城落城後同地に鎮座せり。爾来付近の尊崇頗る篤く、特に尾張徳川藩臣領主横井伊織之儀は年々九月十五日大祭を謹修し、煮沸熱湯を浴びて祀官と共に湯の・・・・・・・・・・ |
501-6232 岐阜県羽島市竹鼻町狐穴2460番地 |
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羽島支部 233 |

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稲荷神社
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当社は往古郷内に一小丘あり。其の内に白毛の老狐棲息し種々奇瑞を生せしを以て明応五年村民該小丘に一の小社を建立し尊崇し来れり。其当時の国主下向の節参拝せられ村名を狐穴と名付けらる。此の白狐の縁起を以て稲荷神社と称し、貞享三年正月十七日村内安全五穀成就の祈願を奉修したり。後改めて郷内道家清右ェ門村民と相・・・・・・・・・・ |
501-6232 岐阜県羽島市竹鼻町狐穴1317番地 |
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羽島支部 232 |

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駒塚神社
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文禄三年九月十三日創立され、その後の沿革は不詳なれど、旧家に保存されていた古文書に依ると、慶長十年二月、元和五年正月、寛永九年十一月、正保三年正月、寛文元年九月、貞享五年十一月、正徳三年正月と過去七回に亘って造営した記録あり。又明治五年郷社に定めらる。明治四十二年一月境内神社春日神社(武甕槌神、経津・・・・・・・・・・ |
501-6234 岐阜県羽島市竹鼻町駒塚570番地 |
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羽島支部 237 |

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秋葉神社
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火災防止町内安全、五穀豊穣、商工業繁栄のため奉斎し、年来崇敬者の信仰が極めて厚い。・・・・・・・・・・ |
501-6241 岐阜県羽島市竹鼻町2448-1 |
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羽島支部 247 |

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神明神社
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創立不詳なれど、神社倉庫に保存されている木槌に、宝暦六年十一月六日、宝永六年十一月二十七日、享保十一年八月、造営された。又村内安全祈祷札に、享保十一年八月三日、天明四年六月、村内安全祈祷が実施されている。これによると相当古い神社にて、崇敬の念篤かった神社と言えます。この外についての沿革は不詳。本社元・・・・・・・・・・ |
501-6233 岐阜県羽島市竹鼻町飯柄226番地 |
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羽島支部 236 |

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八幡神社
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元亀二年十一月創祀。戦国時代織田信長公は余暇に清洲より二、三人の鷹匠を伴ひ鷹狩の為に屡々当地に出道した。この頃狐穴村に道家祖看と称する地方の豪族ありて微行せん信長と頗る懇親の交わりを結び、同邸に度々宿泊するを楽しみとせり。其の来泊中織田信長公に対し畏くも正親天皇より密勅を奉じて勤王家侍従立ち入り宗継・・・・・・・・・・ |
501-6232 岐阜県羽島市竹鼻町狐穴1316番地 |
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羽島支部 231 |

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神明神社
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名鉄竹鼻駅より100?bぐらいの山田クリーニング店隣にあったのを昭和の初め頃現在地に移転。独立宗教法人にするため五十年度より氏子の寄付金で玉垣鳥居手水舎本殿等すべて改築。現在社務所、拝殿新築のため月掛にて募金中。古来より祭祀されていた祠である。多分足近川、逆川の洪水より守護してもらうため祖先が祭った・・・・・・・・・・ |
501-6232 岐阜県羽島市竹鼻町狐穴字矢熊1326番地の2 |
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羽島支部 234 |

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稲荷神社
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町内安泰、五穀豊穣のため奉斎し、年来地元崇敬者の信仰が深い。・・・・・・・・・・ |
501-6241 岐阜県羽島市竹鼻町2348-2 |
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羽島支部 246 |

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八幡神社
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当社は文政二年正月七日一社を創設し、応神天皇を斎き奉りて産土の大神と称辞奉り五穀成就村内安全を祈願するに至りて今日に至る。旧正月十七日には年の豊凶を占う粥付けの祭りを執行せり。然るに明治二十九年七月二十日木曽川堤決壊の為社殿流失し縁由不詳なるも、明治三十七年以来社殿及境内の諸設備を改修し来る。・・・・・・・・・・ |
501-6233 岐阜県羽島市竹鼻町飯柄2097番地の1 |
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羽島支部 235 |

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