|
御鍬神社
|
詳細
|
此の社は元松山村下組の氏神なりしも、村社諏訪神社創立に伴ひ小社として崇敬し来りしものと云ふ。依って考ふれば諏訪神社が小社たりし当時より存立せしことは確実なり。文化九年の燈明、天保六年の燈明あり。拝殿改築に文政二年と記せり。社殿内には延享三年、天保十四年、寛政三年の棟札あり。又山神神社も正徳二年以来の・・・・・・・・・・ |
503-0535 岐阜県海津市南濃町松山字松ケ平1902番地の1 |
|
|
海津市支部 690 |
|
諏訪神社
|
詳細
|
創立年月日不詳なれど、同村鎮座の大将社に関連して日本武尊が伊吹山より伊勢に渡られし時に小社として存在したるものならんといふ。織田信長公の従士太田左馬之助が城山に居り、其の小社を崇敬せりといふ。(今現に城山の名称あり)今より二百余年前松永某が信濃國諏訪神社より分霊を受け来り社殿を改築せし以来氏神として・・・・・・・・・・ |
503-0535 岐阜県海津市南濃町松山字松ケ平1833番地の1 |
|
|
海津市支部 691 |
|
大将神社
|
詳細
|
創立不詳なれども、伝説に日本武尊が伊吹山にて毒蛇の気に中り病体となり、南下せらるる砌一泊して憩ひ更に南下して伊勢の能登野にて薨去せられたるを伝聞して後茲に尊を祀った者と云ふ古社なり。・・・・・・・・・・ |
503-0535 岐阜県海津市南濃町松山字辰ケ平1563番地の1 |
|
|
海津市支部 688 |
|
山神神社
|
詳細
|
創立不詳なれど山林守護神として古来より尊崇し来るもので、社内に納め在る棟札によれば古損し二枚は文字不明なり。享保十五年、寛政六年、文化三年、文政十三年、安政三年に改築したる札あるを以て古社たるを知る。・・・・・・・・・・ |
503-0535 岐阜県海津市南濃町松山字辰ケ平1678番地の1 |
|
|
海津市支部 689 |
|