|
雨壷神社
|
詳細
|
昔当村小林部落に左近太郎右近太郎と云ふ兄弟がありまして、隣村多良村へ山を越えて茶の買い出しに参りました。その帰途一匹の大蛇が現れて「此処は牛馬の往来あり。その煩に堪へられぬから今須へ連れて行け」との御託宣に兄弟はそんな大きな身体ではと申しますとたちまち小さなとかげに姿を化へられましたので、お茶の袋の・・・・・・・・・・ |
503-1543 岐阜県不破郡関ケ原町今須3730番地の2 |
|
|
不破郡支部 2529 |
|
御鍬神社
|
詳細
|
御鍬神社の御神体は文久時代に美濃國牧田へ御三体遷せられ、その御一体が本村今須村に遷せられたもので、農事の守護神として信仰厚く、神事を執ってあります往年は六十一年目に盛大なる祭りを営まれます事に定められて居ります。追々末年に相成堂歩退敗し、其の跡のみを存しています。茲に明治二十五年の春偶然同機相求めら・・・・・・・・・・ |
503-1543 岐阜県不破郡関ケ原町今須3799番地の1 |
|
|
不破郡支部 2528 |
|
若宮八幡神社
|
詳細
|
字平井に鎮座祭神応神天皇仁徳天皇神功皇后伏見天皇の御代正応年間平家の落人三輪六左衛義里大和國より今須村祖父谷に移住し、護神として祖父谷山端に創建せし社なるが、後水尾天皇の御代元和元年間に至り、三輪義行本社を平井に移し、山林を平らにし、境内となす。移転後祖父谷、平井の氏神となし、村人の崇敬する宮となる・・・・・・・・・・ |
503-1543 岐阜県不破郡関ケ原町今須2399番地 |
|
|
不破郡支部 2524 |
|
若宮八幡神社
|
詳細
|
徳川幕府初期時代今須村字大河内奥宮谷口付近に部落を有する頃之が建立にかかり其の後灰原十郎兵衛なる武人の崇敬するところとなる。今尚同人の馬駈場と称する跡あり。其の後漸時時代の変遷により該大河内奥の部落は他へ転住してより既に百幾十年を経過せりと然れども該神社崇敬者そして氏子は存続し、年々祭事を営みつつあ・・・・・・・・・・ |
503-1543 岐阜県不破郡関ケ原町今須3682番地 |
|
|
不破郡支部 2525 |
|
天満神社
|
詳細
|
応永七年足利義持将軍は今度の大門合戦に今須三郎が軍功無類手柄神妙に依り美濃國不破郡の西、永久に堪寺し、菅原公の天神尊像画並びに功賞状を子孫永久に保持すべく与へ、永三郎は天神尊像を木像に彫刻し、不破郡今須村955番地を村地境内として天神神社創立祭記して崇拝子孫永久に守護し来しところ、子孫松浦彦左ェ門の・・・・・・・・・・ |
503-1543 岐阜県不破郡関ケ原町今須955番地 |
|
|
不破郡支部 2530 |
|
愛宕神社
|
詳細
|
慶長七年七月創建。美濃國不破郡今須村三輪治郎左衛門先祖某勧請の処、元禄元年正月より今須村共有の崇敬する処となり、爾来継続して現今に至る。・・・・・・・・・・ |
503-1543 岐阜県不破郡関ケ原町今須3615番地の2 |
|
|
不破郡支部 2526 |
|
青阪神社
|
詳細
|
美濃名細記に従四位下青阪明神とあって景政五代裔孫長江四郎衛門季景の祭る所なり。長江秀景は其の四代の祖鎌倉小太郎景継其の子四郎左衛門義景頼朝に仕へ相模國長江に住す。依て長江と号す。承久の乱後相模國より此の地に移住す。・・・・・・・・・・ |
503-1543 岐阜県不破郡関ケ原町今須3519番地の1 |
|
|
不破郡支部 2527 |
|
八幡神社
|
詳細
|
木田重朝三野乃國の守護の下知を蒙り縁門繁栄の為奉安せるが、後村民に深く崇敬する処となり、村社に列せられ今日に至る。・・・・・・・・・・ |
503-1543 岐阜県不破郡関ケ原町今須152番地 |
|
|
不破郡支部 2523 |
|
愛宕神社
|
詳細
|
天保初年今須村祖父谷区の守護神として創建し、代々崇敬し来り、今日に至る。明治初年今須村祖父谷区守護神として私祭社を創建し、崇敬厚かりしか、明細帳脱漏神社なりしが、今回崇敬者の熱誠なる故により宗教法人会になり、公認神社として一層崇敬誠を捧げる事となれり。・・・・・・・・・・ |
503-1543 岐阜県不破郡関ケ原町今須字水谷3857番地の3 |
|
|
不破郡支部 2522 |
|