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白山神社
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元和三年創祀(1617)。本村相戸区の開祖たる旧家藤田家に祭神伊弉那美命是妙理大権現也。建久七戌年の書類ありき。又口碑にても同年頃鎮座と言い伝へる。神木杉二丈三尺以上と一丈六尺以上の古木の樹齢より判断しても此年頃に鎮齋したるものと推察。
神木大杉、丈約44?幹廻り7.12?昭和51年市文化財指定・・・・・・・・・・ |
501-2252 岐阜県山県市相戸342番地 |
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山県市支部 1785 |
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御鉾神社
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当社御由緒は社傳旧記に曰く、元正天皇の御宇霊亀二年舎人親王日本書紀奉撰の勅を蒙り美濃國藍見河の河上なる喪山の事蹟を尋ね給ひこの里を御通過の折、一老翁鉾を携へ来り親王の御前に立ちて先導し奉る。親王怪しみ問給はく、汝は誰ぞと、翁答へ奉り我は是大已貴命なり。親王御先導の為待居たりと言ひ終りて姿を消して見え・・・・・・・・・・ |
501-2102 岐阜県山県市伊佐美482番地 |
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山県市支部 1736 |
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白山神社
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創建の年月日不詳なるも、古老の口碑に依れば三百年前産土神として鎮斎したる古社にして子孫繁栄五穀成就の守護神と崇敬し来たるものなり。・・・・・・・・・・ |
501-2259 岐阜県山県市岩佐764番地 |
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山県市支部 1798 |
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松尾神社
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当社創立は旧記の伝来無く、詳ならず。然れども今存する処の棟札には寛永十五年八月建立と記載あれども、此は再営なるべし。氏子の伝記には天喜四年伊自良治郎左ェ門始めて当社を建立すと云々伝へり。美濃國神明帳山縣郡の部に正四位下橋尾明神とあるは、或いは当社ならむと推考せらる。当社は元上伊自良村大字掛大門に鎮座・・・・・・・・・・ |
501-2122 岐阜県山県市藤倉581番地ノ4 |
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山県市支部 1766 |
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勝軍神社
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当社は旧記伝来なく、詳らかでない。本殿内棟札には元禄二年二月二十六日葺上とあれど、是は再営の由然れば元禄以前の創立たる事は明瞭たり。昭和二十七年一月十六日神明神社を合併承認。・・・・・・・・・・ |
501-2111 岐阜県山県市赤尾927・928番地 |
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山県市支部 1746 |
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岸見神社
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当社創立社旧記伝来無くして詳ならず。安永九年十一月上葺の棟札在るのみ然れども当社は年暦至って古しと世人の知る処にして、近国より尊敬し登山参拝する者最も多し。惜哉由緒の確然ならざる事尚将来の考証を俟つ。・・・・・・・・・・ |
501-2111 岐阜県山県市赤尾986・987番地の2 |
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山県市支部 1745 |
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乙御前神社
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当社創立旧記伝来無くして詳ならす 然れとも氏子家記を見るに後醍醐天皇御宇官軍の敗士 永井加賀守菅原宣元 元弘元年落来 茲に住居す 因て当社を創立して氏神と崇敬す 後一村の氏神となせし由 伝記に見えたり 因之観之は元弘年間之創建なるへし 然るに古来本地と称し 石仏の地蔵一体社内に在り 背面に天文二十四・・・・・・・・・・ |
501-2112 岐阜県山県市西深瀬1727番地 |
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山県市支部 1749 |
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岩神神社
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創建年月及縁由不詳・・・・・・・・・・ |
501-2331 岐阜県山県市葛原674番地の1 |
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山県市支部 1828 |
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小鷹神社
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詳細
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創建年月日不詳。古老の口碑に依れば、往昔越前國大野郡篠倉の住人五位義明なる者遊猟為し、当國を跋渉し、当地に来り山鳥御鷹をかけ狩りたる事ありし故に小鷹神社と公称するに至りたると云ふ。・・・・・・・・・・ |
501-2303 岐阜県山県市片原412番地 |
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山県市支部 1806 |
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日吉神社
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詳細
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勧請年月日不詳なるも古老の口碑伝説に因れば、三百年以上産土神として鎮斎したる古社にして子孫繁栄五穀豊穣の守護神崇敬し来たるものなり。天保五年四月摂社大年神社、末社神明神社鎮座。
白山神社、津島神社、金比羅神社、愛宕神社、秋葉神社大正5年12月各部落に祀られてある宮を末社として遷し祀る。・・・・・・・・・・ |
501-2258 岐阜県山県市中洞122番地 |
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山県市支部 1797 |
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