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明白神社
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当社の創建年代は不詳である。当社の前を通っている古代官道は、飛騨支路の上留(上呂)駅から旧浅水橋を渡り、当社の御旅所の前を通って位山街道(飛騨匠の道)の入口迄至る。按ずるに、当社は、現永養寺が改宗前の天台宗ごろの鎮座神か、あるいは棟札に記載されている、貞享二年に今井氏三家による創建と考えられる。元・・・・・・・・・・ |
509-2508 岐阜県下呂市萩原町尾崎字四美辻941番地の1 |
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益田支部 315 |
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八雲神社
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創祀未詳。里伝に曰く、享保又、元文の文字より、中御門天皇の御代又、徳川中期より疫病除けの神とし、祀りたる。旧号を天王と云へり。明治八年八雲神社と改称。・・・・・・・・・・ |
501-3936 岐阜県関市倉知字片町895番地の2 |
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関市支部 905 |
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宮地神社
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此の地に古くより津島神社を奉齋され、無格社の関係により明治四十年十二月市平賀1302番地に鎮座の神明神社に合併奉祀されしが、当宮地区たるや市街続きの為め年毎に住民の増加し来し氏子一同の希望により之が跡地に津島神社の分霊を奉祀し猶又同地区の一部は鋳物師屋の白山神社の氏子なりしが、之れ又同様の地区関係に・・・・・・・・・・ |
501-3827 岐阜県関市宮地町3丁目28番地 |
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関市支部 882 |
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越原神社
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創立年記不詳なりと雖も、里伝に応永の頃牛頭天王を勧請奉斎せられ、近村広く崇敬厚かりしと云ふ。後天災地変相続き、社殿も荒廃に帰せり。貞享二年に至り、庄屋安江三右衛門近村崇敬者の奉賀により社殿を再建し、祭事も盛大に執行せり。以後歴代の庄屋度々社殿及鳥居の修理せられし棟札あり。文政七年三陽の蹇女各地を巡り・・・・・・・・・・ |
509-1301 岐阜県加茂郡東白川村越原501番地 |
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加茂郡支部 522 |
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東野神社
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創祀不詳。本社は一千年以上の古社なり。天正四年以前にありては揖斐川流域にして大洪水の為め社殿流失し、御社霊をも漂流するに至り、村民恐懼し、御分霊を勧請し、社殿を再建し、牛頭天王と称し、近郷民の崇敬厚く例祭は津島神社の祭典に習ひ川祭り等往古は盛大に行はる。猶又当神社は古来より落雷除けの神徳を垂れ賜ふと・・・・・・・・・・ |
503-2414 岐阜県揖斐郡池田町下東野364番地 |
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揖斐郡支部 3056 |
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八布施神社
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当社は室町時代の明徳三年(1392)岩村の城主遠山左エ門尉景村の息女がこの地の柏原の山中に庵を作り住む。其の子の子孫、形部介高行蜂が根城にしているこの地に遠山家の崇敬社である祇園牛頭天王社(榊山神社)を分霊、勧請する。武威を輝かすと徳川時代の享保(1716)・宝暦9年(1760)9月の神社調書に村内・・・・・・・・・・ |
508-0203 岐阜県中津川市福岡2541番地 |
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中津川市支部 2240 |
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尾崎白山神社
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当社の創建年代は不詳である。古代官道である飛騨支路の上留(上呂)駅から位山街道(飛騨匠の道)の入口迄の道筋に位置する。元来山岳崇拝による古社であったが、中世以降に白山信仰の影響を受けて現在に至っている。御祭神の伊邪那岐命、伊邪那美命、菊理姫命(白山比?大神)、大山津見命から由緒が伺える。古文書に寛・・・・・・・・・・ |
509-2508 岐阜県下呂市萩原町尾崎字中屋1194番地 |
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益田支部 316 |
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剱宮神社
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創祀未詳。寛文十年八月再建の棟札あり。濃陽志略に出たる社なり。隣村久々利村八剱神社は八坂入彦命、八坂入媛命、弟媛命を祀れり。元来久々利村羽?ア昔古は平牧の荘と称せし地なれば、当地にも御同神を祀る。八剱神社と称せしものか。又は日本武尊を祀りしものか詳にせず。知る能はず。古来より村社なり。大正四年八月十・・・・・・・・・・ |
509-0222 岐阜県可児市羽崎341番地の1の1 |
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可児支部 600 |
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八坂神社
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創祀不詳。由縁不詳。・・・・・・・・・・ |
505-0041 岐阜県美濃加茂市太田町字天王後477番地の1 |
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美濃加茂市支部 2437 |
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五社神社
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創立年月日不詳なれどもこの地は往古より豪家あり相当神社も立派なりしも戦国時代兵火にかかり証になるべきものなけれども古老の言による。貞享2乙丑年6月造営、文政10丁亥年9月上葺修理仕奉候。・・・・・・・・・・ |
502-0081 岐阜県岐阜市長良真福寺龍門寺2353番 |
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岐阜市支部 1187 |
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