
|
四方神社
|
詳細
|
創祀不詳。由縁不詳。・・・・・・・・・・ |
503-2223 岐阜県大垣市矢道町3丁目493番地の1 |
 |
|
大垣市支部 2098 |

|
六社神社
|
詳細
|
神社明細帳に依れば六社神社の由緒次の如し。岐阜県美濃國大垣市中曽根北屋敷496番地村社六社神社。創立年紀不詳。本殿五尺五尺五寸 境内三百三十四坪。・・・・・・・・・・ |
503-0986 岐阜県大垣市中曽根町字北ノ屋敷467番地 |
 |
|
大垣市支部 2063 |

|
多賀神社
|
詳細
|
大正十年頃近江國多賀神社御分身を勧請したもので、此の境内は覚宝院跡である。・・・・・・・・・・ |
503-2206 岐阜県大垣市赤坂新町3丁目106番地の2 |
 |
|
大垣市支部 2079 |

|
十劔神社
|
詳細
|
美濃國神明帳にある石津二十三社の内正六位上物部補剣明神であるらしいが、往古より奉祀する処である。当社一に研剣と書き、正徳五年の棟札には浦剣御前と記している。補と浦と書き誤ったのであろう。後毎々誤記して戸剣大明神と称するに至っている。当社鎮座の地は山地にて、里人其の辺の谷を法剣谷と称し、池を剣の池と呼・・・・・・・・・・ |
503-1634 岐阜県大垣市上石津町細野407番地の1 |
 |
|
養老上石津支部 3254 |

|
白山神社
|
詳細
|
本社建久年間に奉祀創建せし守護神にして其の後戦国の世となり一時荒廃せしも、神験顕著なるを以て氏子恐懼措く能はず、元禄四年再興したり。明治四十三年十一月四日許可を得て無格社諏訪神社、無格社金刀比羅神社を合祀す。・・・・・・・・・・ |
503-2207 岐阜県大垣市枝郷3丁目4番地 |
 |
|
大垣市支部 2080 |

|
白髭神社
|
詳細
|
江州和田山(滋賀県甲賀)城主和田河内守義盛、弘安の末頃美濃の国安八の境、杭瀬川の辺りに井田開発奉行となり、この地に来たり陣屋を設けて屯す。開墾の業成りて、子息和田義隆(伊藤)を徳光の郷に残し置き百姓の長となす。 義高父命を奉じて長くこの地に住し百姓を統率して益々開発に励み父の遺業を継承完成す。而して・・・・・・・・・・ |
503-0983 岐阜県大垣市静里町字宮前700番地 |
 |
|
大垣市支部 2059 |

|
八幡神社
|
詳細
|
創立年紀不詳なりと雖も、延喜式神名帳所載安八郡四座の一、荒方神社。美濃國神名帳所載安八郡十九座の一、従一位荒方明神に充て得らるる著名の古社なりと云ふ。社号も亦荒方八幡宮と称す。当社古額面に八幡宮其の肩書に荒肩神社とあり。鎌倉時代の古物なる事鑑定せらる。亦天保三年四月、同五年の棟札に荒方八幡神社と記し・・・・・・・・・・ |
503-0102 岐阜県大垣市墨俣町墨俣1番地 |
 |
|
安八郡支部 4 |

|
今津神社
|
詳細
|
往古より家内大神として崇敬せられしと伝聞。文禄二年春、神社建立鎮座し今津神社と称す。爾来、四百年今津姓の家にて崇敬。近年境内参道が狭くなり参詣が不便が故に釜笛町字沼187番地より同196番地の4へ昭和二十九年五月に移転、御遷宮執行、現在に至る。・・・・・・・・・・ |
503-0937 岐阜県大垣市釜笛字沼196番地の4 |
 |
|
大垣市支部 2029 |

|
浅間神社
|
詳細
|
創建年紀は不詳である。元浅間権現社と云ひ、世俗に富士の宮と云ふ。明星輪寺明細記録に浅間権現社二尺七寸高五尺境内東西二十三間南北四間三尺但し一反一畝三歩右古跡にて御座候。禰宜無御座候修善寺持ちとあるが、按ずるにこれ明治初年廃社となった上富士権現社との誤記で御扱いかと察せられる。濃州赤坂宿記録によると富・・・・・・・・・・ |
503-2213 岐阜県大垣市赤坂町2940番地 |
 |
|
大垣市支部 2081 |

|
荻神社
|
詳細
|
國帳内に正五位名木明神とあり。往古此の境内に大木の柳あり。西行法師彼の許にて岐阜山を見て美濃富士なりと歌を詠られし古文あり。故に富士宮とも云ふ。美濃明細記に詳なり。指定村社たり。・・・・・・・・・・ |
503-0015 岐阜県大垣市林町8丁目字中屋敷1205番地 |
 |
|
大垣市支部 1942 |

|