菊地神社 (きくちじんじゃ)
通称     
主祭神  
      菅原道真(すがわらみちざね)
摂末社祭神     
      天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)
      伊弉冊命(いざなみのみこと)
      伊弉諾命(いざなぎのみこと)
      菊理姫命(くくりひめのみこと)
地図 map
住所        
〒500-8346 岐阜県岐阜市清字上沼776番地
由緒由来  
勧請年月日不詳。元天満社と云ふ。里伝に加賀國菊池の地より移すと云ふ。元加納藩所轄の時菊池社と改称す。社頭に往来の松あり。今枯失す。然れども詩歌に有名なるにより、世俗往来の松と云ふ。明治四十一年十月清字東牛田の神明神社(天照皇大神)多賀神社(伊弉册命)白山神社(伊弉諾命菊理姫命)を合祀す。後醍醐天皇の御代加賀國より往来の松の下に菊池竹時なる者住みて、後同所に埋葬せしと云ふ。其の後徳川時代参勤交代の時中仙道より往来の松に立ち寄り詩を詠ず。元加納別本陣現在岐阜市加納本町三丁目九番地森貫一郎氏秘蔵書より抜粋次の如し。永徳二年正月十八日加賀國菊池の天神を移し奉り斉藤帯刀左衛門親頼加賀國より美濃目代となる。その時菊池神社と改称せらる(古文書あり)。往来松の宮(別名)往古は境内広大にして六十余町歩なりと云ふ。其の境内に古松あり。中仙道往来の旅人嘆賞せり。之を往来の松と称せらる。現在保存の往来の松の記及詩歌絵画軸五点あり。此の文献より記述す。宝暦年間より老松あり。其の姿容美観を呈す。元禄六年三、四月の交刺使藤原朝臣光永遊観し、往来の松と名称す。爾来旅宿の顕郷詩歌を残す。享保三年(森氏先祖)森永考文政十二年森永貞集総し巻三帖(絵軸一、現存詩歌重要なるもの挙ぐれぱ次の如し)一、冷泉中納言正二位、藤原為経、一、武者小路中納言従二位藤原實蔭、一林大学頭藤原信篤、一凡平正三位藤原公長、一藤谷正三位藤原為信、一、往来松額面黄檗悦峯、絵画山本数馬守房、画賛藤谷宰相為信、右の外棟札等有り。天明七年八月二十五日再建の札有り。文政二年六月造立祈祷札あり。文政十三年十二月庄家村瀬弥五衛門重久神燈献ず。昭和三年十月玉垣鳥居狛犬等昭和十三年三月往来松由来碑を建設す。
祭礼情報  
4月4日