跡津神社 (あとつじんじゃ)
通称     
主祭神  
      上社:家津御子大神(けつみこのおおかみ)
      熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)
      熊野速玉大神 下社:建御名方大神(くまのはやたまおおかみ)
      八坂刀売大神(たけみなかたのおおかみ)
摂末社祭神     
      天照皇大御神(あまてらすすめおおみかみ)
      伊邪那美命(いざなみのみこと)
      大山津見大神(おおやまずみのおおかみ)
      大己貴大神(おおなむちりおおかみ)
      崇徳天皇(すとくてんのう)
      氏子出身靖国の神霊拾柱(うじこしゅっしんやすくにのしんれいじゅっはしら)
地図 map
住所        
〒509-2504 岐阜県下呂市萩原町跡津字河戸洞1495番地
由緒由来  
創立年代不詳。古来「御新宮(おしぐ)の森」と称し、社前にオシグ・祈拝殿等の地名があり、石器等も出土している。鎌倉時代より天正年間にわたり、源頼朝が文覚上人に命じて創建した竹原郷大威徳寺領の十貫がこの地にあり、その末坊が別当であったと古書にみえている。文禄二年、河戸洞、行水洞等の山崩れで当社も荒破し、耕地や民家が埋没して村は疲弊した。戦国時代に南朝の臣奥田某兄弟が来飛し、兄は当地に弟は奥田洞に居住した。いま奥田氏奉納の掛け仏が現存している。寛永十年熊崎與左衛門好家一党が再建したが、寛文九年の山崩れで社殿は崩壊した。熊崎半右衛門は、国主金森氏に請願して、行水洞の除水工事の施行と、洞口に山神社の鎮祭及び新宮社・諏訪社・浄聖堂再建のための杉・椹等の下付を得て再営する。元禄検地で三反一畝十五歩の除地ある。享保六年熊崎太左衛門自光が再建し、例祭日を四月五日と定める。明治維新新村社に列し、境内の金比羅神社、山神神社を合祀する。昭和十五年、皇紀二千六百年記念に、区内字城洞鎮座の村社諏訪神社を合併して、元新宮神社を「跡津神社」と改称して区内の円満を図った。
祭礼情報  
4月5日〔享保6(1721)年以来変更がない〕