白倉神社 (しろくらじんじゃ)
通称     
主祭神  
      藤原貞奥(ふじわらさだおき)
摂末社祭神     
地図 map
住所        
〒501-1301 岐阜県揖斐郡揖斐川町谷汲高科裏山792番地の1
由緒由来  
創建年代不詳なれども、後醍醐天皇の御代、建武元年天皇隠岐國に遷奉于時藤原貞興岐礼庄配流薨去す。依って応永の頃大納言藤原貞興公の勲功を追贈し根尾郷岐礼庄高科裏山に社殿を創建し、白倉明神と尊称し奉祀せし由古老の口碑に伝存せり。建武延元の頃堀口美濃字貞満公根尾谷を領、越前朝倉公と連絡を通じ、南朝方と為り、厚見郡長森城主土岐大膳太夫頼康と大戦し、堀口美濃守は高科に隠遁し、藤原貞興一族及家臣に依り助力を得、再挙を謀られたれば、祖先崇拝の趣旨に基き白倉明神を崇敬在らせられたること明らかなり。その後元和寛永年代は大垣城領有に反し、松平甲斐守忠良公松平因幡守延長公、岡部内膳正長盛公、岡部美濃守宜勝公、松平越中守定縄公本社を御代々御尊敬遊ばされたり。慶安年中戸田佐門代鉄卿戸田采女正氏信公毎年例祭に御新酒御供進ありたり。爾後年々地頭より例祭には御神酒供進遊ばさるるが古例となり、当藤原貞興公は岐礼庄一帯の開祖にて、功績顕著なり。殊に高科裏山に奉祝せる白倉神社は近郷の人々は云ふに及ばず、遠く根尾谷地奉の人々年々一回は老若男女を問わず参拝す。右記録は名主方に保存中山大漫延し高科村過半類焼に及びたれば、記録も遂に灰燼と化したり。然れども高科裏山に創建の本殿を見ても本社に祖先霊神を奉祀せし古跡たること歴然たり。
祭礼情報  
4月2日