墨俣神社 (すのまたじんじゃ)
通称     
主祭神  
      墨俣大神(すみまたのおおかみ)
摂末社祭神     
地図 map
住所        
〒503-0102 岐阜県大垣市墨俣町墨俣264番地
由緒由来  
創立年紀不詳なりと雖も、延喜式内社にして延喜式神名帳に従五位下墨俣明神とある古社なり。大日本史神祇志に「安八郡四座の内墨俣神社今在墨俣駅神名記為従五位下」神名帳考証に「安八郡墨俣神社洲俣川大已貴命各務郡眞墨田神社玉葉云養和元年三月十三日伝聞去十日欲渡墨俣之間尾張賊越来」美濃式社考に「墨俣神社在安八郡墨俣村去大垣の駅を東二里許り神名未考」美濃明細記、百岐年に「安八郡墨俣宿正一位墨俣大明神近代正一位墨俣渡場之西神名式曰墨俣神社、美濃神名記墨俣明神」明細記に「延喜式墨俣神社安八郡四座の一、美濃神名記従五位下墨俣明神安八郡十九座の一近年正一位」大日本地名辞書に「此の神は延喜式安八郡の官社にて当國神名帳に従五位下と標したり」享保二十年の棟札に正一位墨俣大明神とありて、里人社名を云はず、正一位さん正一位さんと称し奉る。享保二十年九月の棟札に依りて、尾張藩主源宗春公、成瀬隼人正、竹腰志摩守、備前藩中伊木清平衛尉等の信仰せしを知るべく。安政元年伊木清兵衛尉金一千疋を献りし由古文書に見ゆ。文化二年濃陽村々明細記墨俣村の條に「正一位墨俣大明神 社五尺五寸六尺 拝殿二間三間 境内御除地とあり。明治二十四年の濃尾大震災に社殿悉く倒潰せしを以て仮殿を営みしも昭和十年犀川開鑿工事の為移転を命ぜられ同年一月二十一日許可現在の地に移転。祝詞殿、拝殿、手水舎等新築完備し、昭和十三年七月一日完了届け出をなす。
祭礼情報  
10月10日