鞍掛神社 (くらかけじんじゃ)
通称     
主祭神  
      曽曽路命(そぞろのみこと)
摂末社祭神     
地図 map
住所        
〒501-6014 岐阜県羽島郡岐南町薬師寺5-20
由緒由来  
往昔五十錦命諸国を巡覧する時に当たりて悉く此國を巡行し畢りて更に近江國に至り当時曽々路命を召して汝命は此國に止りて蒼生を慰撫し工芸を勧めよと曽々路命大に喜び給ひ、上神祇を祭り、下人民を称和す。又蚕葉を培育し、機工を教へて絹布を制作せしめ因って藏を建て手末の物を藏めて朝貢の料となす。景行天皇十三年平田川戦争に討ち死す。按ずるに、其の平田川は今の境川ならん。安良田は平田の訛伝ならんか。(一説に椿原とも云ふ。椿原は方縣郡にあり)百姓其の恩頼閔ひ功績の著大にして縁由深きを以て祠を建てて鎮座し、鞍掛大明神と称す。今を去る二百五十二年前即正保四年口論往古の棟札悉皆紛失すと同社社殿に載せたり。又同社に合祀する川島天神は祭神創立縁由等未詳と雖も元禄年間岐阜合戦の節兵難に罹りて社殿を始め回廊及び齋藏悉く烏有に帰す。此の村も修羅の巷となり、加えふるに累年水害を蒙り百穀不登、東奔西走塗炭の苦しみ為に活路を失ひ再営する能はず。且漂流を恐る故に宝永二年同社を合祀す。按ずるに鞍掛神社を隔る凡そ三町前東南に当たりて高地あり。囲繞するに掘を以てす。景跡自現存す。今なお宮越地と称するは河島社の旧社地なり。又接続地に東山或いは山等の称名の伝はるは往昔は一帯の森林なりしも数百年の久しきを経過したると世の変動とに従ひ青々たる耕地と化したるも焦瓦の破片土中より出るを見ても壮観たりし一社宇なりしも想像するに足るべし。此社南は木曽川に瀕し北に小川ありて島をなす故に川島社と云ふか。
祭礼情報  
10月20日近い土曜日