二柱神社 (ふたはしらじんじゃ)
通称     
主祭神  
      伊邪那岐命(いざなぎのみこと)
      伊邪那美命(いざなみのみこと)
摂末社祭神     
地図 map
住所        
〒506-1154 岐阜県飛騨市神岡町伏方641番地
由緒由来  
創祀不詳。当部落には元熊野神社、白山神社に二社ありて氏子も常に二派に分かれたれば、部落の将来を慮り且二社を合祀して建物の完備を図り神威の尊厳を保ち以て信仰を増し維持経営の基礎を強固にせん為明治四十年六月九日合併し、社名を二柱神社と改称し、区の中央なる熊野神社境内を以て社地と定む。元白山神社の由緒創立未詳なるも、里俗延暦二十四年八月十二日安置せられたる薬師堂と殆ど同じ時に祭祀せるものなりと云ふ。元当社は高田神社と称し氏子も多く崇敬信仰厚かりしが、後年加賀白山神社は四方人民の尊崇甚だしきと聞き好奇にも故無く白山神社と改号せり。明治四十年六月九日熊野神社に合祀奉遷をなす。元熊野神社由緒。平治元年源義平の創設なり。義平は平治の乱に当飛騨國に下り高原郷寺林倉洞山頂に城壁を築き、年月日不詳初め流葉山嶽上の平地朝日ヶ原に奉祀せられたるものなり。源氏常に守神としたるに因って当熊野神社を除魔祈願所とし、厚く之を崇敬し、その後人口漸く増加し、氏子祭祀に怠りなし。然るに此の地冬期に積雪丈余に及び、参拝容易ならず、人家近き現在地に遷座なし、この地の字を新宮と称す。寛延三年四月本社を再建明治維新の際は熊野権現と称せしが、熊野神社と改め明治二十六年拝殿を再建す。明治四十年六月九日白山神社と合祀す。
祭礼情報  
4月23日