飛騨総社
(ひだそうしゃ) |
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主祭神 |
御歳皇神(みとしのすめがみ) | 大荒木之命(おおあらきのみこと) | 国之水分命(くにのみくまりのみこと) | 弥都波能売神(みずはのめのかみ) | 大山津見神(おおやまずみのかみ) | 高皇産霊神(たかみむすひのかみ) | 大彦命(おおびこのみこと) | 高魂神(たかみむすびのかみ) | 大歳御祖神(おおどしみおやのかみ) | 五十猛神(いそたけるのかみ) | 大歳神(おおどしのかみ) | 水波能売大神(みずはのめのおおかみ) | 須佐之男命(すさのおのみこと) | 和加宇加乃売命(わかうかのめのみこと) | 道後大神(どうごのおおかみ) | 大国主神(おおくにぬしのかみ) | 本母国都神(ほもくにつかみ) | 日本武尊(やまとたけるのみこと) | 別雷大神(わけいかづちのおおかみ) | 大八橋大神(おおやばしのおおかみ) |
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摂末社祭神 |
菊理姫命(くくりひめのみこと) | 伊邪那美命(いざなみのみこと) | 伊邪那岐命(いざなぎのみこと) |
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地図
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住所 |
〒506-0006 岐阜県高山市神田町2丁目114番地 |
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由緒由来 |
朱雀天皇承平年間創祀。明治四年九月十二日縣社に列し、維持五年四月五日郷社に明治十三年七月十日縣社に復す。朱雀天皇の御代承平年間飛騨國国司国内の官社を当地(国府の古跡当域内に存す)に勧請し、總祭して世々祭祀を努め来りたり。按ずるに当神社は飛騨の国司が所載の班幣を執り行へる齋場(總社考に神祇式に云ふ祭日並びに神祇官又は總社或同に云嵯峨天皇弘仁年間列国国衙に斎場を設くと)なりしが、醍醐天皇延長年間より国々に總社創設あるに準じて設くと。国司巡検の制を改め、遂に恒例の儀式をも此処に修むるに至れるなりと降って文治二年五月社殿の修理を営み建長四年四月幣帛共進の令旨を賜り建武元年五月社領の更正せられしも応仁以降戦乱の為神領は奪はれ頗る荒廃に帰せしが、寛永五年八月金森出雲守重頼令して本社を再建し降って寛文五年五月修造天明二年八月本殿拝殿再興ありしも構造縮小して旧観を失ひ總社の森大菩薩宮と称せり。文化十四年八月國人田中大秀之を慨し飛騨總社考を著し、之が動機となりて文政三年三月社殿を再建した。古例の如く竣工せり。明治二十三年社殿の改造昭和五年三月本殿造営あり。 |
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