須波神社 (すはじんじゃ)
通称     
おすわさま
お須波様
主祭神  
      建御名方命(たけみなかたのみこと)
      事代主命(ことしろぬしのみこと)
摂末社祭神     
      白山神社
      八幡神社
      天満宮
地図 map
住所        
〒509-1623 岐阜県下呂市金山町菅田桐洞697番地
由緒由来  
須波神社の創建年代は詳らかではない。往昔諏訪大明神と称し、貝洞の神田、現在の大字菅田桐洞字三度付近に祀られていたらしい。棟札や古文書等によれば、応仁元年切厚村(切洞村の元の名称)の氏神として、現在地に遷された。天文3年に、本殿を貝洞地区の人々が主催し建立してから、23年後の弘治3年に、その前方に拝殿を和田・前洞口・神田地区の人々が、協力して建立したものと思われる。(昭和48年4月7日、吉岡勲・日置弥三郎両氏の調査による。)社殿は天文3年に再建(古文書「桐洞手鏡」による)の記録がある。「神明帳」武儀郡の部に、正五位下須波大神の名があり、これが当須波神社であると思われるところから、これまで諏訪大明神と言っていたのを、明治9年11月岐阜県の御沙汰により、今の名に改められた。この「神明帳」と言うのは、『延喜式神明帳』のことで、「延喜」とは人皇第六十代醍醐天皇の御代の年号を言い、その元年は西暦901年に当たる。また、『延喜式神明帳』は三代格式の一つで、佐大臣藤原時平らの撰したもので、20余年を要して、延喜5年に完成している。このときに出来た神明帳に名が記載されたとなると、当神社は恐らくそれより、100年ないし200年前に創建されたものと推測される古社である。本殿及び幣殿・渡殿は、明治29年に七宗御料林の檜材の特別払下を受けて改築し、今日に至ったものである。昭和56年3月主要地方道関金山線の改良工事により本殿を前方へ6尺移動、渡殿を六尺短くした。なお、この際、建物の修理及び玉垣・燈篭その他の改良工事も行なった。
祭礼情報  
3月第4日曜日