金峯神社
(きんぶじんじゃ) |
|
|
主祭神 |
金山毘古大神(かなやまびこのおおかみ) | 少彦名神(すくなひこなのかみ) |
|
|
|
地図
|
住所 |
〒505-0116 岐阜県可児郡御嵩町御嵩1849番地 |
|
由緒由来 |
創祀未詳なれども、慶安二年三月二十八日再建の本願田中松右衛門、田中侍左右門、田中孫四郎、等記せし棟札あり。濃州志略に御嶽村山川の部に権現山即ち「蔵王権現」鎮座山甚不高、松檜蔭映る里老云々」と称せしが、神祠の部に蔵王権現祠「以前一村總社吉野より移す故此の地を御嶽と名くか。大光寺之を掌す」等記せり。明治元年三月神祇局より御達しの御趣旨に基づき蔵王権現の称号をやめて、金峯神社と改称す。神前に懸りし梵鐘を下ろし他に移せり。中古蔵王権現金峯山より当郷の南山に飛び給ふことあり。故に其の山辺を御嶽と呼びしとなり。今別るるによりて御嶽と此を称するなり。蔵王の来由、年号詳ならず、中村も始めは中御嶽と呼べり、今は略せるか、慶長六年以前迄は可児郡小泉庄春木御嶽村と唱せしを上之郷は木曽宿に下され、西方は仙石右門東方は御嶽入となり。それよりして上之郷十七ヶ村、御嶽中村と別れしなり。此文に依りて考ふれば、金峯の称号より御嶽村と称せしこと、素より言を俟たず。例祭は長保元年二月十日より始めけん。そは可児大寺寺領百名の内三十名は蔵王権現祭礼料の由新撰美濃誌に記せり。薬師に祭礼と申儀は此趣旨。大寺記録に相見え、且二月十日祭は金峯神社の祭礼なるよし。以下略 |
|
|
|