神明神社 (しんめいじんじゃ)
通称     
主祭神  
      天照大御神(あまてらすおおみかみ)
摂末社祭神     
      春日神社(かすがじんじゃ)
地図 map
住所        
〒503-0634 岐阜県海津市海津町沼新田527番地
由緒由来  
勧請年月日不詳当社は福江村の西北にありていにしえ福江村の枝村なり(元野一色村とも云へり)美濃國神名台帳曰く多芸郡座(十六座の内)従五位上大謂明神なり。(三代実録曰く斉衡二年閏四月美濃國多芸郡石津郡とありて石津郡古え多芸郡の内なり延喜の頃には既に分かれてありけむを式の神名帳に多芸郡四座とありて其の内に座す。今石津郡にありてかく延喜式にすら多芸郡石津を分ちなく記されたるを思へば此の國帳撰録ありし天慶の頃とても多芸郡石津の神社は其の郡名を混じ違へたるもありて、此の大謂神も多芸郡座とは記されならむか神位は従三位以上か)里傳に曰く当社は往古大沼明神又は沼宮と称し中古沼明神とも称せしを慶長の頃より神明社と相改めしよし云々。慶長三年八月の棟札に「奉再興神明皇太神宮一宇祢宜数馬太夫濃州石津郡沼村氏子云々」又元和元年八月の棟札に「奉再興神明皇太神宮一宇祢宜岩田数馬太夫云々」と記せり。又里傳に当社鎮座の地辺を字祢宜島と称し、故に往古此の祢宜七名これあり。則ち其の居家七戸ありしに大洪水にて神社を始め右七戸共流失す。依って其の座敷跡なるを以て此の辺を祢宜島と称し来りしと云へり。されば当社は古往有名の神社にて社司等も多く奉仕せりと國帳内の神社なるべく思はるるなり。
祭礼情報  
体育の日