玉ノ井神社
(たまのいじんじゃ) |
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摂末社祭神 |
豊受姫神(とようけひめのかみ) | 底筒男命(そこつつのおのみこと) | 中筒男命(なかつつのおのみこと) | 上筒男命(うわつつのおのみこと) | 倉稲魂神(うかのみたまのかみ) |
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地図
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住所 |
〒501-1174 岐阜県岐阜市小野2丁目10番地 |
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由緒由来 |
その始めは未詳と雖も、明応天文の頃、鵜飼庄の地頭斉藤利國の時より小野村惣鎮守の玉の井神社とあり、是天文の頃斉藤利良入道の所選美濃続風土紀に載、方縣郡鵜飼庄七郷の神社を記せり。小野村の本社は玉の井神社末社住吉神社とあり、天文の頃土岐在近太夫頼兼しばらく当社を領する時、七郷の里民に命じて一郷ごとにその村の神社を以て深坂社内に並立せしむ。依って七郷倶に本社を深坂社内に建つ。元深坂神明は洞村の北に在り、明応の初年、斉藤利国領せし時里民に命じて鵜飼野の内に祭らしめる。七社明神と称せり。天文十五年年の秋、斉藤龍興の兵火にて七社一時に類焼して、その後旧記に依り、小野村に於いて鎮守玉の井社を建て、本社と為して相祭りし。又、神明帳に記す。方縣郡処齊ミの内なりと云へり。明治七年郷社に列す。棟札、元禄十五年九月十六日、延宝六年十一月、貞享四年十一月、天保三年八月吉日、天和二年三月吉日、正徳二年八月吉日。槌、貞享四年十一月八日大工岐阜小野権兵ェ |
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