熊野神社
(くまのじんじゃ) |
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主祭神 |
予母津事解之男命(よもつことさかのおのみこと) |
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地図
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住所 |
〒509-3201 岐阜県高山市久々野町大西975番地 |
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由緒由来 |
当社の創立年代未詳と雖も、里伝に曰く、往古文永年間当地同字内(現本殿地より凡そ二十丁余の山上)一小祠あり。然るに其の小祠は何れの代に誰が建立に係る社なるか明瞭ならず。然るに此社毀損甚だしく屋根をも扉をも、朽放ち、僅かに其の社形のみ存せり。其処は当地氏神社と定むるものなきを以て幸に其社を再建して改め崇め奉らんと前記年間頃土工を起こし、里人石を堀り土を均す際、豈図らんや一つの銅像と古剣二振を堀出せり。然れども其の銅像の何神なるか。或いは何佛像なるかすら鑑定する能はず。然るに幸い、隣村に学識有る人ある故に、此の人をして鑑定せしむも能はず。依って同人へ託し其の鑑定方に力を尽くさしむ。故に同人之を負ひ直に京都に馳せ上り、その頃名高き社人、社僧に就き、懇ろに鑑定を乞ひたるも、何れも正に熊野大神則豫母津事解男の命の御霊像なりと認め、且つ絶世の妙工なるに、或いは畏み、或いは驚きたりと。然れども尚紀伊大和を回り、悉く古神社の社人につき精密く鑑定を乞ひしに、何れも前に異なることなし。依って直ちに郷里則ち当地に帰り其の旨を里人に告ぐ。懇ろに奉祀せしめ、之より熊三神大権現と号す。之此の社号の起こりし基因なりと。其れより此の因縁漸く近郷の聞侍る処となり、日に増し、尊崇する人多く、社殿の増築等一時は頗る広大壮観を極めたる神社なりしが、中古憔悴へりと雖も今も尚境内外の宏闊として自ら風致の状あり。元禄八年高山郡代伊奈半左ェ門検地の際除け地三反六畝以下略。 |
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