常葉神社
(ときわじんじゃ) |
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地図
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住所 |
〒503-0887 岐阜県大垣市郭町2丁目4番地 |
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由緒由来 |
当社は大垣市郭町に鎮座しており、戸田一西命、氏鉄命、氏信命、氏西命、氏定命、氏長命、氏英命、氏教命、氏庸命、氏正命、氏彬命、氏共命をお祀利している。戸田左門一西は旧大垣藩中興の祖にして、三河の国田原城主戸田宗光の第六世なり、徳川広忠・家康に仕えて軍に従い勇名を馳す。天正18年戦功により武蔵国鯨井城主となり、次で近江国大津城を経て、同国膳所ヶ城に転す。当時戦乱の後を受け民力疲弊の極にあり、公専ら心を治水殖産に用い、土を愛し民を撫し、長く百世の基を開けり。戸田氏鉄は一西の子にして膳所ヶ城より尼崎城に移り寛永12年美濃国大垣10万石の城主として転封せらる。島原の乱を鎭定して功あり、封地にあっては治水・殖産・勧業・勤倹等専ら経済の道に意を払うこと深く、藩政を司ること約20年に及ぶ治績大いに挙り、遺徳は永く民心に感銘を与ふ。明治42年9月19日朝廷公の功績を賞し、従三位を追贈せらる。嘉永5年一西公の二百五十年忌の際、祠廟を城内松の丸に創建し、常葉大神と称し、明治6年8月大垣市八幡神社境内に遷座ありしが、明治35年4月神社創立の許可を得て現在の処に改築し、大正5年11月9日氏鉄公合祀の儀許可され、翌年10月4日縣社に昇格。昭和27年神社本庁管轄、宗教法人常葉神社となる。昭和41年大垣藩主二代目戸田氏信命から十一代氏共命まで十柱命を合祀、その理由は近時大垣市の発展とともに藩主歴代の恩恵が重く取り上げられる様になって来たので氏子の要望に基き従来の戸田一西公及びその子、氏鉄公以外に明治に重んじる歴代藩主を合祀せんとする。 |
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