大歳神社
(おおとしじんじゃ) |
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摂末社祭神 |
菅原道真(すがわらみちざね) | 白山比□羊命(しらやまひめのみこと) | 大己貴神(おおなむちのかみ) | 崇徳天皇(すとくてんのう) |
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地図
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住所 |
〒509-4215 岐阜県飛騨市古川町杉崎字大歳41番地 |
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由緒由来 |
社伝によれば、奈良町時代創祀。三代実録十四、清和天皇貞観九年十月五日飛騨國(八社諸神叙位の次に)同国正六位上大歳神云々等従五位下を授く。飛州志に曰く、大歳宮は小嶋郷杉崎村に在り。由緒未だ詳らかならずと雖も此の氏子は鶴を食べずと云ふ。按ずるに祭神大和姫世記に云ふ。伊佐波登美神稲倉魂神云々總社考に曰く、大歳神は吉城郡小嶋郷杉崎村の道傍なる小社なり。古事記に速須佐之男命大山津見神之女名は大市比賣を娶りて産みませる子、大歳神、次に宇迦之御魂神。とあり古事記伝に曰く、登斯(とし)とは穀(たなつもの)の事なり。かくて此の神は此の穀の事に大なる功坐ましつ。故に此の御名を負給へるなり云々。古史伝に曰く、大歳神亦大歳御祖神と云ふ。云々。村長調書に大歳社は水帳に社(五尺、四尺五寸)拝殿(三間二間)字カミサマ田と云ふ。杉?ア村の内、沼町村境近き処官道の艮に在り。除地七間八間一畝二十歩とあり。
飛騨国八社十神中、旧地のまま古来不変とされる現存三社の一社にして、国史現在社十神の筆頭神社
文徳天皇実録第三巻に仁寿元年(851)正月廿七日、正六位上に叙。
三代実録第十四巻に清和天皇貞観九年(867)十月五日、飛騨国八社諸神叙位の次に大歳神云々等従五位下を授くとある。
祭神は、古事記に須佐之男命が大山津見神の女、神大市比売を娶りて産まし子、大年神。伝九巻に登斯(とし)とは穀(たなつもの)の事なり。かくてこの神は穀のことに大いなる功まします故に、この御名を負給えるとある。古史伝に大年神また大歳御祖命(おおとしのみおやのみこと)という。
飛騨志に曰、大歳の宮は小嶋郷杉崎村にあり、この氏子は鶴を食わずという。按に大和姫世記に真名鶴、稲穂を咥え持ち廻りて鳴く云々。この鶴を大歳神と号て祀れり、これも穀に功ありし故なり。
村長調書、大歳社水帳に社五尺に四尺五寸、拝殿三間二間、杉崎字神さま田、沼町村境近き所、大路の艮に在り、除地七間八間、一畝廿歩とあり。
明治五年村社に列す。明治四十年に村社中宮神社、小島天満宮、金刀比羅神社を合祀。昭和十七年郷社に列し、二十二年銀幣社となる。徐々に社地を拡張、境内を整え四十五年に拝殿、五十六年社務所のほか神輿蔵を新築した。
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